常識のためのサプリ
タチの悪い中国市場から離脱せよ



 日中の“異常な状態”はようやく解消されるだろう。 政・官・財・言論界では 「 首脳会談が行なわれないような状況は異常だ 」 という評価だった。 しかし他国の戦死者の祭祀に文句をつけて首脳会談を断るというような例が、歴史上あっただろうか?! 中国が首相の靖国参拝に文句をつけ出したのは1986年からで、それ以前、何の異議申し立ても行なわれていなかった。 中国が文句をつければ日本が謝る。 謝れば金を出すというカラクリに気付いて、中国は日本を金銭登録機のように扱ってきた。 日本はこれまで天皇訪中も含めて公式に17回謝罪したが、まだ許さないという。 こういう異常な状態に終止符を打ったのは小泉純一郎氏の功績だ。

 金が欲しい、あるいは投資をして欲しいなら世の中には頼み方の礼儀というものがある。 「謝れ」 と脅しておいて金をとる。 投資をして欲しいのに無理難題を吹っかけて暴利を貪る。 中国のGDPの4割は外資によって創出されており、外資の投入が途絶えれば中国経済は間違いなく破綻する といわれる。 だから外資を呼び込むために9%、10%という見せかけの経済成長で外国を欺いているのだ。

 2ケタの経済成長といいながら失業率は10%もあり、農村部では20%を越えている。 不動産投資を中心にしたバブル経済はあと数年で破滅するだろう。 中国に投資している日本の企業の7割が損を出している。 経済同友会の北城恪太郎代表幹事などは中国にいいくるめられ、首相に 「靖国参拝をやめよ」 と見当違いの意見をいっているが、首脳会談が行なわれたら外資の投資環境が良くなるとでも思っているのか?!。

 中国には、2005年もその前年も汚職によって立件された公務員は各4万3千人もいる。 このうち閣僚級が10人、知事級が200人、司法・警察関係が約1万人だ。 汚職が常態化し、統治機構が目茶苦茶だということだ。 現在、海外に逃亡している公金横領犯人は800人。 持ち逃げした総額は5兆5千億円を超えるという。

 損を出しつつ日本の企業が現地で経営を続けるのは、 「巨大な市場」 の将来性に幻惑されるからだが、損をして市場にしがみつくバカがどこにいるのか。 「台湾の声」 編集長の林建良氏によると台湾企業も広東州に限定して調査すると7割が赤字だという。 それでも撤退しないのは、撤退しようとすると地方政府や従業員によって損害賠償の訴訟を起こされ、刑事責任まで追及され、応じないと刑務所に放り込まれるからだ。 こういう公機関、企業、人民ぐるみのタチの悪い市場は中国をおいて他にない 将来性など全くない。

 中国の泥棒国家的体質は2千年この方続いており、彼等と絶縁しなければ将来はないと聖徳太子は7世紀に日本を中華圈から離脱させたのである。 当時、日本列島には大和民族、漢民族、朝鮮民族らが混住し、大陸や半島と自在に交流していたが、大陸や半島の事情を知る漢民族や朝鮮民族もこぞって 「 中華圈からの離脱 」 を決定したという。

 江戸時代まで続いた日本の鎖国はまさに聖徳太子以来の国是で、1871年日清修好条規を結ぶまで1200年の間に日本の文明は独自の発展を遂げた。 福沢諭吉は1885年時事新報に 「脱亜論」 を書いて、中国や朝鮮と 「付き合うのは止めろ」 と厳しく説いている。 道徳や民度の違いを指摘して 「こういう人たちとは付き合いきれないからだ」 という

 中国は 「 経済成長 」 至上主義でこれを実行するためには日本の協力、投資は欠かせない。 一方で共産主義に代わるイデオロギ−として 「 反日愛国主義 」 を掲げている。 両立する道理のないものを両立させようとしているのが中国だ。 ハニートラップよろしく龍絡した媚中派政治家、財界人、官僚、言論人を動員して、親中派の総理大臣を選ばせようとしたが、どうやらその策謀は失敗した。

 小泉内閣の支持率が常時50%前後を維持し、小泉氏の靖国参拝を支持する安倍晋三氏が総裁選でぶっちぎりのトップを走っているのは、国民の対中感情を見事に表現している。 次期首相と目される安倍氏の外交政策は、自由、民主主義、基本的人権、法治を共有するアジアの日、豪、印に米国を加えた4ヵ国の連合を考えているようだ。

 中国とは足利義満や徳川幕府がやったような 「政経分離」 路線に回帰し、新たに日米豪印の 「海洋国家連合」 を構想している。 絶妙の転回だ。








 

 中国は経済の高度成長が続いている。 2005年に続いて2006年も、経済成長率は10%を超える勢いである。
 貿易黒字も拡大の一途である。 2006年1月から11月までの貿易黒字は1570億ドルと、2005年の通年での実績の約1.5倍に達している。
 さらに、外貨準備高も急増している。 2006年2月に日本を抜いて世界一となり、同年10月には空前絶後の1兆ドルの大台を突破した。
 こうした中国経済の急膨張に煽られたのか、 「中国は日本よりも資本主義的である」 という意見を、しばしば耳にする。
 そうした意見が唱えられる際に、論拠として援用されるのが、中国経済の専門家として名高い関志雄氏の主張 である。
 関志雄氏は、2005年に、 「中国経済の実態は( 中略 ) 『原始資本主義の段階』 にあたる。 その行き着くところは 『社会主義の高級段階』 ではなく、 『成熟した資本主義』 であることは間違いない」 と述べている( 『 中国経済のジレンマー資本主義への道 』 ちくま新書 )。
  「 原始共産制 」 や 「 資本の原初的蓄積 」 といった用語は、大学の経済史の講義で教わるが、 「 原始資本主義 」 は初耳である。 おそらく関氏の独創なのだろう。
 マックス・ウェーバーは1910年代後半に執筆した 『儒教と道教』 で、 「資本主義的依存関係の欠如」 によって、中国では 「内政的な略奪資本主義」 しか形成されなかった と述べた。 その中国が、現在は 「 原始資本主義 」 の段階であり、将来は 「 成熟した資本主義 」 にかならずなるというのである。 その現段階である 「 原始資本主義 」 が 「 日本よりも資本主義的 」 かどうかを調べてみることにする。




 成田空港から約4時間のフライトで北京空港に到着する。 北京空港の建物は、成田空港よりもずっと豪華な造りである。
 ところが、空港内の動く歩道やエスカレーターには、中国人が大嫌いな 「小日本」 の企業のロゴ がついている。
 実は、北京空港の新施設の建設費用700億円のうち、300億円は日本からの円借款なのである。 そのことを記したプレートが空港内に飾ってあったというが、一度も見たことがない。
 元上海総領事の杉本信行氏が亡くなる直前に著した 『大地の咆哮』 ( PHP研究所、2006年 )によれば、 「空港建物の建設に日本政府は一部分円借款を提供した」 と中国語で表示した2×8メートルの広告板が、2000年4月から国内線のチェックインカウンター近くの壁に設置されていたのだが、2001年に事前連絡なしに撤去されてしまい、2002年11月からは、別の小型プレートが、貴賓室に飾られているという。
 そこまで隠蔽するほど 「小日本」 が嫌いなのに、 「小日本」 からの経済援助は平然とせびってインフラ建設を行う。 この 「どんな金でも金は金」 のドライさが、 「日本よりも資本主義的」 なのだろうか ……。
 空港のビルを出て、タクシーかリムジンバスに乗って、予約したホテルに行こう。 それには 「 中国の通貨、人民元 」 が必要である。
 財布の中の一万円札を人民元に両替しようと、空港内にある中国銀行の窓口に行く。 ところが、 「 人民元 」 という表示はない。 あるのは 「 人民幣 」 という表示である。
 実は 「 人民元 」 は和製中国語である。 中国の通貨の名称は 「 人民幣 」 である。 「 元 」 は 「 圓 」 の略字で、金額を数える単位である。 紙幣には現在でも 「 圓 」 が使われている。
 北京語では 「 元 」 も 「 圓 」 も発音は同じ yuan である。 だから、金額を表示する記号は 「 ¥ 」 である。 日本語で、円あるいは圓を en と発音するのに、ローマ宇書きは yen で、記号が 「 ¥ 」 なのは、おそらく中国からの影響だろう。
  「人民幣」 は、北京語での発音を中国式にローマ字書きすると renminbi なので、金融業界ではRMBと表示する。 あるいは、Chinese yuan 略したCNYを用いる。 要するに、欧米でも 「人民元」 という呼び方はしないのである。
 中国の通貨の名前も知らずに、中国経済をあれこれ論じるのは滑稽である。 だが、そんな滑稽がまかり通っているのが 日本の知の現状 なのである。 それでいいのだろうかと疑問に思っているうちに、空港内の銀行窓口の順番が来て、円を人民幣に両替する。 為替レートは窓口に表示されている。 両替証明書は、後で必要になるので、保管しておく。
 両替した人民幣を手にして、タクシーに乗る。 中国が初めての人は、たいていギョッとする。 運転席の周りが鉄格子で囲まれているからである。
 タクシーは現金商売だから、運転手が襲われる心配があるのだろう。 最近は日本でも運転手の背後を透明のアクリル板で守っているが、あんなヤワなものではない。 運転手の背後と側面とをにで囲んでいるのである。 しかし、これは治安が日本よりも悪いというだけで、 「 資本主義 」 とは関係がない。
 中国のタクシーの運転手は、たいてい英語が話せない。 でも、日本人なら漢字でホテルの名前を書いて指示できる。 しかし、ここで 「 同文同種 」 の幻想を懐くと、後で手ひどく裏切られる。
 中国のホテルには、政府機関が独自につけた一つ星から五つ星までの等級がある。 外国人は、三つ星以上の高級ホテルにしか泊まれない。 たいていの四つ星以上のホテルなら、フロントで通貨の両替をしてくれる。
 フロントに表示されている為替レートを見てみると、空港の銀行窓ロでのレートと同じである。 ここでも、両替証明書をもらったら、ちゃんと保管しておく。
 空港でも都心のホテルでも為替レートが同じであるのは、なんだか変だと思いながら、ホテルの近くの銀行に行ってみる。
 中国は日本よりも間接金融が主力である。 そして、国有商業銀行の大手四行である中国工商銀行、中国建設銀行、中国銀行、中国農業銀行が、圧倒的な預金額と貸出額とを誇っている。
 これらの4つの銀行は、名前が示している通り、かつては、それぞれ業務を異にする専業銀行であった。 中国銀行が為替業務を専門としていたが、現在は専業制がなくなり、どの銀行でも通貨の両替ができる。 外国人でも、パスポートを提示すれば、両替してくれる。 両替証明書をもらって、保管しておくのは空港やホテルと同じである。
 しかし、たとえ国有銀行でも、両替した人民幣を受け取る時は、注意が必要である。 ゴミになる寸前の汚れた紙幣が混じっていたり、紙幣の枚数が足りなかったり、ニセ札が混じったりすることがあるからだ。 これは銀行の職務規律がないためであり、かえって 「資本主義」 からほど遠い
 そんなことに注意しながら、銀行内の掲示板に表示されている為替レートを見てみると、空港やホテルで見たのと同じである。 これは明らかに 「 中国は日本よりも資本主義的 」 ではない。
 人民幣を持っていなければ、到着した空港で両替しなければならない。 為替レートが不利であっても、選択の余地はない。 だから、東京をはじめ世界の主要都市では、同じ時刻でも、都心より空港の方が為替レートは旅行者に不利である。
 また、高級なホテルの中は安全だし、清潔である。 外国人にとって心地よい空間である。 いわばサービス料が含まれたホテル内での為替レートが、銀行の窓口よりも、業者側にとって有利なものであっても当然である。
 これは、安く買って高く売る 「 裁定 」 という金融の基本である。 裁定があるおかげで、資金は余っているところから不足しているところに自ずと流れていくのである。
 ところが、中国では空港でも都心のホテルでも銀行でも、同じ為替レートが用いられる。 これでは、裁定で得られる利益を失っていることになる。




  「 中国は日本よりも資本主義的 」 である証拠を、政治都市の北京で探そうとしたのが、そもそもの失敗だったかもしれない。
 中国経済の中心は、なんといっても上海である。 上海に行けば、 「 中国が日本よりも資本主義的 」 である証拠が、見つかるかもしれない。
 上海だけでなく中国の都市は、どこも大変な住宅ブームである。 旧い街が次々と取り壊されて、高層マンションが建てられる。 敷地面積は日本ではめったに見ないくらい広く、マンションの一棟も大きい。 たいていの豪華マンションの敷地入りロには、警備員が24時間いる。 敷地の地下には大きな駐車場があり、そこから建物に出入りすることができる。
 中国経済は高度成長を続けているし、2008年には北京オリンピック、2010年には上海万博と、日本が高度成長期に行った国家的イベントが予定されている。 高級マンションを購入して保有すれば、数年後には購入価格の何倍も高く売却できるかもしれない。
 そう考えていると、ホテルの部屋のテレビに、不動産の広告が流れている。 画面の下には、上海や深煩の証券取引所に上場された銘柄の株価が流れる金融情報番組である。 そんな番組での不動産広告は、当然のことながら、高級物件ばかりである。
 豪華な造りのマンションや別荘の完成予想図の右側に、上から、 「 歌雅花園( 万科新里程 ) 」 といった物件の名称、 「 地理位置 」 ( 場所 )、 「 主力面積 」 ( 主力の物件の面積 )、そして、 「 銷售均価 」 ( 販売単位価格 )が表示される。
  「 銷售均価 」 つまり販売単位価格が 「 9000元 / 平方米 」 つまり 「 1平方メートル当たり約13万円 」 であるなら、 「 2房100平米 」 つまり 「 2部屋、100平方メートル 」 の物件だと90万元’およそ1300万円である。
 日本でも、マンションの宣伝には、主力の物件の販売価格が記されている。 だが、部屋が何階にあるのか、角部屋であるかどうか、間取り、窓の方角、窓からの景色などと様々な条件の組み合わせによって、個々の物件の実際の価格は違う。 多少高くても条件がよい部屋に住みたいと考える者もいれば、住めさえすれば安いのがよいと考える者もいる。 だから、微妙に値段を変えていくことで、需要を掘り起こそうとするのである。
 しかし、中国では、そうした条件の違いはほとんど無視されて、1平方メートル当たり何元という面積単位の価格が表示される。 これでは マンションの量り売り である。
 マンションや一戸建ての量り売りは中国では普遍的のようである。 中国からの帰国子女の中には、日本に帰ってみると、物理的に同じ物件が、南向きだとか角地だとかいった条件によって価格が変わることが、最初はひどく不思議に思えたという者がいるくらいである。
 商品の 「質」 の違いを見出し、それを価格差別という形で表現するのが 「資本主義的」 だとすれば、中国のやり方は、まったく 「資本主義的」 ではない。 むしろ、数量だけを目標とする 「社会主義的」 なやり方である。 しかし、そもそも、品質のことを中国語では 「 質量 」 つまり 「 質の量 」 と言う。 マンションの量り売りは 「 中国的 」 なのかもしれない。
 上海のあちらこちらで、高速道路を作り直している。 自動車の爆発的な増加に対応するために道路の幅を拡張しているのかと思ったら、 「耐用期限は10年だったのに6年で壊れてしまった」 とのことだ。
 家電じゃあるまいしと思うが、高層マンションも同じだ。 新築の時から壁に亀裂が走り、床は水平でない。 しかし、これは品質が 「質量」 であることの当然の帰結なのである。




  「 原始資本主義 」 の精神は、上海の不動産という細部には宿らなかったが、せっかくだから上海の経済を見てみよう。 中国が日本よりも資本主義的であることの証拠が見つかるかもしれない。
 言うまでもなく、上海は中国経済の中心地である。 超高層ビルが林立する光景は、上海だけでなく中国の経済発展の象徴である。 ところが、その上海の経済に異変が起きているのである。
 北京にある中国国家統計局作成の『 中国統計年鑑 』 によれば、上海の一人当たり国内総生産( GDP )は、2004年に過去最高の5万5307元( 約83万円 )となったのが、2005年には前年より7%近く低い5万1474元( 約76万円 )となった。
 さらに大きな変化は、上海経済の中国全体に占める地位が急落したことである。 その地位の尺度として、上海の一人当たりGDPが全国の一人当たりGDPの何倍に当たるのかを測る。
 この倍率は、中国の統計が作成されるようになった1952年に3.817倍からスタートし、毛沢東時代に順調に上昇した。 とりわけ文化大革命が始まった1966年からは倍率の上昇が加速し、1978年には7.1倍となってピークを迎えた。 ところが、翌1979年に改革開放が始まると、この倍率は急落し、1990年には3.8倍と1952年の水準にまで戻した。
 しかし、ケ小平が事実上引退し、天安門事件を機に上海市書記から中央総書記に抜擢された江沢民が実権を持つようになると、この倍率は再び上昇に転じた。
 ケ小平が死亡した1997年には上昇は一段と加速し、2004年には4.5倍になった。 ところが、その年に胡錦濤が党・政・軍の三権を完全に掌握し、江沢民が完全引退に追い込まれると、翌2005年には3.7倍と、1990年の水準を下回るところまで落ち込んだのである。
 この傾向は、2006年も継続している。 中国国家統計局が発表した2006年10月の全国地域別の月収状況によると、平均個人月収は全国で1059元に対して、地域別では、第1位が北京市の1878元で、第2位は上海の1869元であった。 第3位は浙江省の1562元で、第4位は広東省の1441元、第5位は天津市の1292元であった。 ちなみに、首位の北京は胡錦濤夫人の劉永清の、5位の天津は温家宝の出身地である。
 このように、上海の一人当たりGDPが全国の一人当たりGDPの何倍かで測った上海経済の相対的な地位の浮き沈みを見る限り、文革四人組や江沢民といった 上海を拠点とする者が権力を掌握すると、上海の地位は上昇 するのだが、彼らが 失脚ないし退任させられたとたんに急落 する。
 この現象の理由を、上海市政府のエコノミストに尋ねてみると、 「 その一人当たりGDPは上海に流れ込んできた農民人口を推測して計算に入れています。 しかし、その推測には根拠はありません 」 と言って、『 上海統計年鑑 』 を開いて示してくれた。
 それを見ると、上海の一人当たりGDPは、2005年も増えており、北京作成『 中国統計年鑑 』 のデータよりも3割多い6万7492元( およそ100万円 )になっている。 もっとも全国平均に対する倍率をとると、わずかではあるが2004年よりも下がっている。
 上海を抑えたい北京が作った統計と、抑えられたくない上海が作った統計とがアベコベなのは、二大都市 「競争原理」 によるものか? さすがは 「原始資本主義」 である
 ともあれ。 経済都市上海の経済的な地位は、実際のところ、政治の動向に大きく左右されてきたようだ。
 かつて、 「 北京愛国、広東売国、上海買国 」 と言われたことがある。 北京人は愛国を唱えて金を稼ぎ、広東人は外国に国を売って金を儲け、上海人は国の資産を買い取って財産を築くという意味である。
 これら三つの行動の中では、上海人の 「 買国 」 が最もスマートである。 他の地域の人が上海人のことを 「 太聡明 」 と評すのも、もっともである。
 しかし、上海人がどんなに聡明でも、国の資産を買い取るには、北京の党中央が許可してくれなければならない。 だから、上海を拠点とする者が北京で権力を掌握すると上海の 「 買国 」 ビジネスは急成長し、権力の座を追われると 「 買国 」 ビジネスは失速するのだろうか。
 そうだとすれば、上海は 「原始資本主義」 でもなければ、 「日本よりも資本主義的」 でもない。 その正体は 党の主導権争いと一体となった“政商”経済 だということになる。




 為替レートにも、高級マンションの販売価格にも、上海の発展にも、中国が日本よりも資本主義的であることの確たる証拠は見つからなかった。
 そこで、先学の智慧を求めて、日本最大の支那学者であった内藤湖南の全集第五巻を紐解くと、1919年の論文 「支那経済上の革命」 に、こう書いてある。
 「実に支那の貨幣と云うものは非常に複雑なるものであって、到底今の日本人などの考えでは想いも寄らぬ所のものである。 ( 中略 )手形の発行は別に制限も何もない」
 ところが、2006年の今でもこの文章は正しいのである。
 手形の発行に制限がないとは、発行した手形が不渡りになっても、発行元の会社にはペナルティがないということである。
 日本では、どんな会社でも手形の不渡りを半年に2回すれば、それでおしまいである。 しかし、中国では、1回どころか、20回でも、200回でも、2000回でも手形が不渡りになっても、それが原因で発行元の企業が倒産することはない。
 これは、たしかに、日本人が想像もしいことである。 中国に進出した日本企業が、中国の企業から手形を受け取り、不渡りになってしまうケースが跡を絶たないのはそのためだ。
 だから、ジェトロ( 日本貿易振興機構 )は、そのウェブサイトにおいて、中国に進出した日本企業に対し、 「付き合いがまだ浅い取引先とは 『前受け金決済』、 『現金決済』 に拘って慎重に商売し( 中略 )与信を与える自信が出て来ても、( 中略 ) 『承兌匯票』 ( 銀行支払保証手形 )のみに限定することです」 と警告 を発している。
 要するに、中国では、会社と会社との取引であっても、現金で先に支払ってもらうか、それとも、納品と引き換えに現金で支払ってもらうかがビジネスの原則なのである。 信用売りは禁物なのである。
 だから中国は日本よりも資本主義的であるとしたら大変である。 「 カード払いお断り 」 の店は、 「 カード払いOK 」 の店よりも、資本主義的であり、 「 いつもニコニコ現金払い 」 の立ち呑み屋は、信用取引ができる銀座のクラブよりも、資本主義的であることになってしまう。
 では、現金決済が鉄則の中国で、これだけは受け取ってもよい手形とされている 「 承兌匯票 」 とは何だろうか。
  「 承兌匯票 」 も、日本人の想像を絶する仕組みである。 たとえば額面が10万元の 「 承兌匯票 」 を発行する際には、発行元は10万元の現金を銀行に預ける。 すると、銀行は、その 「 承兌匯票 」 を現金化しようとする際に、ちゃんと現金を支払うことを保証するのである。 つまり、現金の保管先が銀行になるだけで、本質は現金決済なのだ。
 額面の金額を銀行が先に徴収してしまっているので、不渡りになることはない。 だから、安心して受け取ることができる。 また、銀行は手形の割引を求められても、安心して引き受けることができる。 「 承兌匯票 」 は、誰もが他人を信用しないことを前提にした手形だから、不渡りのリスクがないのである。 手形のキャッシュ・オン・デリバリーである。
 また、中国の銀行が手形を割引く際にも、 「 量り売り 」 の原理が適用される。 残存日数だけに基づいて、機械的に割引率を決める。 発行人が誰かとは無関係に、一律の割引率が適用されるのである。 中国の銀行には信用の評価システムがないのだ。 これで不良債権が山積みにならなかったら奇跡である。
 まだある。 中国の手形は、発行人がいるのと同じ都市の中でなければ無効である。 さらに、手形は発行する時点で現金化できる人物が指定されてしまうので、実際には譲渡不可である。 だから、手形は流通しないし、市場も生まれない。 他人を信用しないことを前提としたシステムの帰結である。




 残念ながら、 「 中国は日本よりも資本主義的 」 である証拠は、見つからなかった。 その原因のひとつは、 「 市場 」 というものを勘違いしたことである。
 中国の現在の経済体制は、1992年の中国共産党の第14回全国代表大会( 党大会 )で決議された、 「 社会主義市場経済 」 である。
  「 社会主義市場経済 」 の 「 社会主義 」 とは、中国共産党の一党支配のことである。 そして、 「 市場経済 」 は、党を批判すること以外は何でもありの、ルールもモラルもない市場( いちば )経済である。
 日本語では 「 市場 」 を、文脈に応じて、 「 いちば 」 と 「 しじょう 」 とに読み分ける。 「 いちば 」 は、実際に人々が集まって、商品を取引する具体的な場である。 実際の店舗、路上の屋台、訪問販売先の玄関と、取引がなされる物理的な場である。 英語のマーケット・プレイス( market place )である。
  「 しじょう 」 は、抽象的な取引の機会である。 たとえば、 「 東京外国為替市場 」 は、そうした名前がついた施設ではない。 外国為替の取引業者の間に網の目のように張り巡らされたネットワーク上の取引の機会である。 英語のマーケット( market )である。
  「 いちば 」 は世界中の何処にでもある。 なんでも取引すれば、その場が 「 いちば 」 である。 フーテンの寅さんも、旅に出ると境内などに開設された 「 いちば 」 で巧みなロ上を駆使して叩き売りをしていた。 そこで必要なのは、度胸と、はったりと、押しの強さである。
 中国の社会主義市場経済では、中国共産党を批判すること以外は何でもありだ。 故・杉本信行氏が 『大地の咆哮』 で指摘した通り、 「金を貸すバカ、返すバカ」「市場経済のシステムがまったく機能していない」 のだ。 要するに、社会主義市場経済とは、一党支配の下で何でもありの 「いちば経済」 である。
 国有企業のホテルに外国人が宿泊すると、部屋の電話に何度も女の甘い声で 「マッサージ」 と掛けてくる。 鼻の下を伸ばして 「マッサージ嬢」 を部屋に入れると、続いて警官が入ってくる というから、恐ろしくて丁重に電話を切るしかない。
 農民の夫婦が、身体障害のある自分たちの子供に値札を付け、道行く人に売りつける 恐ろしくも悲しい 「 いちば 」 を、北京の中でも目撃する。
 北京の街のいたる所で、違法DVDやCDが公然と売られている。 U2でもSMAPでも、どんなアーティストのアルバムも揃っている。 中国はWTO( 世界貿易機関 )に加盟したはずだが、知的財産権はどうなっているのだろうか。
 GONY、HONGDA、SUKIDA、IPMと、まぎらわしいブランドはいくらでもあるが、とうとう日本のエレクトロニクス会社のコピー製品ではなく、日本企業の現地法人を、社名から何からそっくりコピーして営業していたコピー会社まで出現 した。
 社会主義市場経済が、何でもありの 「 いちば経済 」 であることを、見事に示す事件が、2006年11月29日に深■( 土+川 )市内で起きた。
 産経新聞・福島香織記者の記事によれば、公安局が 「 公開処理大会 」 と銘打って、売春婦40人を含む性風俗産業従事者や客ら計100人を、手錠でつなぎ、ヤジを飛ばす沿道の市民の前を引き回した。 女性たちは実名、出身地などが公開された。
 しかし、中国の都市で売春は公然と行われている。 青島のような地方都市では、夕暮れ近くになると、大通りに売春婦が数メートル置きに立って客を引く。 首都の北京では、さすがに売春婦が昼間から公道に立っている姿は少ないが、その代わり、客引き専門の中年女性が、王府井のような家族連れでごったがえす大通りで、熱心に営業をする。 警備の警官もいるが、見て見ないふりをする。 そもそも公安当局が売春に加担して利益を得ている のである。
 それなのに、突然、深■の公安局がこうした措置をとったのには、 「 いちば経済 」 的な動機があったのだ。 記事によれば、 「 売春婦の集中取り締まりが行われた地域は2年以内にホワイトカラー向けの高級住宅地に再開発される予定 」 なのである。
 一方、資本主義における 「 しじょう経済 」 は、自分の欲望を満たすために何をやってもよい場ではない。 そこには、ルールがあり、信用に基づく取引があり、信用を評価するシステムがあり、複雑なシステムを維持発展するために必要な知的財産についての権利がある。
 たとえば、東京株式市場は、東京証券取引所、そこで取引をする証券会社、それを通じて取引する投資家などといった主体の間のネットワークの上に成り立っている。
 証券取引所での取引は、明文化された厳格なルールと長年の慣習に基づく暗黙のルールとに従う精緻な過程であるから、特定の証券会社の資格を持った者だけが許される。 証券会社に手数料を払うのは嫌だからと証券取引所に押しかけても、つまみ出されてしまうのが落ちである。
 しかし、 中国には、 「しじょう経済」 を成り立たせるものが、ほとんど何もない。 だから社会主義市場経済を、 「原始資本主義」 という造語で評したり、 「日本よりも資本主義的」 だと感心することは、的外れだ。 マックス・ウェーバーのいった 「内政的な略奪資本主義 」 を今も脱していないのである。




 どんな旅にも終わりがある。 そろそろ日本に帰る航空便に乗らなければならない。 お土産を買って、食事を済ましたら、人民幣は不要である。 どの額面も共通の毛沢東の肖像に愛着があれば別だが、人民幣は日本に持って帰ったら、円にもドルにも換金できない。 中国の銀行の東京支店に行っても、入りロに 「 人民幣はお取り扱いいたしません 」 と表示されているのを見るだけである。
 新宿の歌舞伎町の奥に行けば、ドアに 「 人民幣使えます 」 と中国語で書いてある店があるが、その横に日本語で 「 日本人お断り 」 と書いてある。
 中国で、円を人民幣に両替するのはたいていの銀行でできるが、人民幣をドルに再両替できるのは、空港の中の中国銀行の窓口だけである。 銀行専業制の名残なのだろうか。
 ところが、日本のODAを用いて建てた広い空港の中で、たいてい一箇所しか窓口が開いておらず、再両替の為替レートは悪く、しかも、作業はひどく手際が悪い。 そのうえ、並んで待っている客がいても、平気で窓口を閉めてしまう。
 再両替の際には、両替証明書が必要である。 証明書に記された金額の範囲内でしか、再両替はできない。 これでは、中国に外貨が入るのは歓迎だが、外貨が出るのは嫌がっている としか思えないのだが、それでも 「 人民幣は上海万博までには世界経済を支えるハード・カレンシーになる 」 のだろうか。
 ともあれ、いったん円を人民幣に替えてしまうと、円に戻すのは大変な労力だし、為替レートが悪いのでコストも高い。 人民幣が上昇することを期待して、人民幣で預金をするのは、利益の追求としては効率的ではない。
 人民幣預金は、中国経済のどこかにあるという 「 日本よりも資本主義的 」 な要素が健全に成長し、中国経済が 「 成熟した資本主義 」 となる日が来ることを夢見る人にしかお薦めできない。 しかし、それは預金というより、いささか高過ぎる 「 夢の代価 」 ではないだろうか?