Nov. 25, 2007



  カネにころんだか、女を抱かされたか
  




 橋本龍太郎 が急逝した。 政治家というのはいくつもの顔を合わせ持っている。 まして首相まで務めた政治家の評価は多面的になされるべきだろうが、晩年、橋本が親中、媚中派の代表的な政治家のひとり と言われたのは橋本にとっても不名誉なことだったのではないだろうか。
 今年3月末にも日中友好7団体を率いて訪中し、胡錦濤国家主席の 「靖国参拝する日本の首相とはもう会わない」 という発言を引き出したのも橋本 だった。


《 公私の質問はばかげている 》

 橋本はもともと靖国参拝について、人一倍の思い入れを語っていた政治家だった。 中曽根康弘が1985年の公式参拝を最後に靖国参拝を断念した際には、 「日本が中国側の圧力に屈した印象を残してしまう」 と首相の対応を手厳しく批判した。 その後も閣僚であったときも含めて毎年、靖国参拝を欠かさなかった。 遺族会の会長も長く務めていたから参拝はごく自然のことだったのであろう。
 そして首相となった1996年( 平成8年 )、7月29日に中曽根首相以来中断していた靖国参拝を復活し、記者団に次のように語った。
《 今日は僕の誕生日だ。 この中には、一番上のいとこや近所の床屋のおじさんが祭られている。 今日は会いに来た。 ( 略 ) 「 ( 参拝が )公私かどうか 」 という質問自体、ばかげている。 何をもって公人とするのか。 ( 略 ) 小学校2年で私は終戦を迎え、それまでに出征していく人を見送った。 そのときに、その人たちは 「 九段( 靖国神社 )に来てくれよな 」 というのが、決まり言葉だった。 そして、その人たちが帰ってきていない。 そういう人々に対し、私は子供のころからの約束が続いていると思っている。 遺骨の収集も自分でパプアニューギニア、フィリピン、ミャンマー、グアム、沖縄、硫黄島に出掛けた。 そして拾ってきた遺骨のほとんどが、千鳥ケ淵にある。 そういう追憶の中で、参加することも許されないのか 》
( 産経新聞1996年7月30日 )
 橋本にしてみれば思いの丈を述べたのであろう。 あるいは中曽根が止めた首相参拝を復活して得意の絶頂であったかも知れない。 だが、橋本は中国の反発が強まると、それ以降の参拝をとりやめてしまった。 そればかりか 卑屈なことに参拝をしないとあらかじめ中国に連絡することまでした
 たった一度で参拝を止めるぐらいなら最初から行かないほうがよかった ともいえる。 中曽根と同じく、抗議を受ければ日本は必ず譲歩するという歴史を積み重ねたに過ぎなかったからである。 しかも、皮肉なことにその後、橋本は代表的な親中派となって遂に重きを成したのである
 橋本は、最晩年、歯科医師連盟の1億円ヤミ献金事件が取りざたされた。 だが、日本が今なお中国の内政干渉に苦しんでいることを思えば、この中国に対する変節のほうがよほど罪は大きかったのではないだろうか。
 それにしてもなぜ、橋本は変節してしまったのだろうか、謎である。

 中曽根の場合は首相在任中に10回も靖国参拝を行っている。 この点では小泉首相は到底及ばない。 多い年には4回も参拝した。 そして自らつくった諮問機関で、靖国神社への公式参拝は合憲とする答申を得て、麗々しく公式参拝を行ったあと靖国参拝をぷっつりやめたのである。
 今では 「 A緻戦犯 」 の分祀を主張して小泉首相の靖国参拝を批判する一方、 「 日本・東アジア共同体評議会 」 の会長として、中国が熱心な東アジア共同体構想の推進に一役買っている。
 中国が日本に対する歴史攻撃を止めない理由のひとつは、親中、媚中派といわれる政治家やメディア、財界人らが数知れずいるからである。 彼らは内政干渉を嬉々として受け入れるばかりか、時には進んで内政干渉を呼び込むことまでするのである。


《 これぞ中国の交渉術 》

 「 中国は外交目標を実現するにあたって、特定の政府高官や政治家を個人的関係へと引き込む込むことに長けている 」 ( 『 中国人の交渉術 』 守屋洋、文蕪春秋 )
 米CIAがいまから10年ほど前に中国の外交交渉術を極秘研究し、こう特徴づけたことがある。 交渉相手国の中に自国の代弁者をつくって、交渉を自国にとって有利に導くのが巧みだというのである。
 これらの代弁者、つまり 「 友好人士 」 は政治家だけでなく官僚、ジャーナリスト、経済界の実力者、学者まで広範囲に及ぶが、当然のことながら影響力のある人物ほど重視される。
 そして中国のお眼鏡に適った友好人士はさっそく北京に招待され、気配りの行き届いた豪華な接待を受ける。 行きたいところに案内され、豪華な食事と高い酒が振舞われる通訳がとびきりの美人 であることもあるという。 その総仕上げが国家主席や首相など共産党政治局員クラスの大物との会談である
 そこで 「 先生は中国との太いパイプです 」 などとおだてられて、 「 ここだけの話ですが …… 」 などと吹き込まれると、接待されたほうは次第に、 「 私の人脈で中国との友好関係は維持されるのだ 」 と思い始めるのだという。
 そしていったん気脈を通じると、中国は今度は両国間のパイプ役として過剰な期待感を表明し始めるという。 このときの研究では、多くの米 政府高官が米中国交樹立プロセスに関与するようあの手この手で奨励されたと証言している。 その工作の対象にはキッシンジャー国務長官やブ ッシユ副大統領( ブッシユ大統領の父親 )という人物まで入っていたという。
 米国はこうした中国のアプローチを正確に見据えていて、これに乗せられて国益を損なうことのないように、この研究成果を外交官に読ませて警戒してきた というのである。
 日本にこういう用心深さがあっただろうか。 警戒するどころか、 「同文同種」 とか、 「一衣帯水」 とかいう情緒的な言葉を疑問もなく目にし、中国の張るクモの糸に競って飛び込んできた ということはなかっただろうか。
 中国の張るクモの糸には、もちろん色と欲もある。
 ODA利権は中国に蝟集する政治家に常に囁かれてきた闇の部分だし、中国のハニートラップ( 色仕掛け )にかかって自殺に追い込まれた上海総領事館員のケースは、いかに中国が卑劣な方法で日本人を籠絡してきたかの例証であろう。 もちろん政治家もその対象で 橋本も特定の中国の女性との交流が報じられたが、この点に関する限りついに納得できる説明はなされなかった
 『 中国人の交渉術 』 によれば、中国は二国間関係や国際社会で中国の立場が悪くなった場合に、友好人士への圧力戦術の一手法として、突然、冷たくして不安がらせたり、 「 あなたの中国の古い友人が苦境に陥っている 」 などと警告を発したりするという。
 靖国参拝を中断した中曽根はその理由を 「 苦境に陥っている胡錦濤総書記を助けるため 」 と語っていることは有名だが、胡錦濤も橋本をじっと見つめて 「 中日友好のために靖国参拝をしない首相を選んでください。 中国の立場はお分かりでしょう 」 とシグナルを送っていたのかも知れない。


《 中国が頼る7人のサムライ 》

 今年4月2日の産経新聞に中国が信頼する 「 7人の政治家 」 を実名で示すというケッサクな記事が掲載された。
 胡錦濤国家主席の例の対日政策の 「 重要講和 」 で 「 内政干渉の呼び込み役 」 となった日中友好七団体を批判したもので次のように記されていた。
「日中関係筋によると、中国の対日政策責任者が 『7人のサムライ』 と呼んで頼りにしている現役の自民党議員がいる。 7人は (1)河野洋平 (2)福田康夫 (3)野田毅 (4)二階俊博 (5)加藤紘一 (6)山崎拓 (7)高村正彦 ─ で、順位は 『親中』 の度合いと期待度なのだという」
 この記事でいう 「 中国の対日政策責任者 」 とはかつて田中真紀子外相に小泉首相の靖国参拝について 「 止めなさいとゲンメイ( 厳命 )した 」 唐家■ [王+施] 国務委員だろうか。
 確かにこれらのメンメンは毎年のように中国を訪問している。 日本に内政干渉を続ける中国に頼りにされるというのだから、順位は別にして彼らを媚中派と呼ぶことに問題はないだろう。 ここに橋本、宮沢喜一の元首相、それに、野中広務が入れられていなかったのは現役を退いたためだろうが、政界だけではなく世間一般への影響力からいえば、それらの人物は当然入るだろう。
 また、野中の後継者ともいえる古賀誠、与党では神崎武法ら公明党の政治家と同党の後ろ盾である創価学会の池田大作名誉会長を忘れては失礼にあたるだろう。 そのほかに、野党民主党からは岡田克也ら、社民党の村山富市、土井たか子らも忘れてはならない存在である。
 これらのうち、野田( 日中協会会長 )、高村( 日中友好議速会長 )、岡田は橋本( 日本国際貿易促進協会会長 )とともに日中友好七団体の3月の訪中にも同行していた。 野田は帰国直後テレビに出演して 「自民党総裁選では靖国参拝が争点にならざるをえない」 と早速、日本人の洗脳を試みていた。
 また、福田、野田、加藤、山崎、それに神崎らは、靖国参拝を中止し、新しい追悼施設の建設を求める超党派の議連、 「 国立追悼施設を考える会 」 の仲間であり、山崎はその会長である。
 一方、加藤、古賀、河野は、旧宏池会の結集を目指した 「 アジア戦略研究会 」 のメンバーで、山崎らとの連動を目指しているとみられる。 そのいずれもが、9月の自民党総裁選で、中国の内政干渉を厳しく批判している安倍晋三官房長官や麻生太郎外相への包囲網の構築を目指しているのは偶然ではなかろう。
 7人のサムライでは期待度トップの河野は後にまとめて触れるとして、いまの政局でキーマン的な役割を果たしているのが山崎ではないだろうか。 かつては小泉首相の盟友といわれながら、 「 靖国参拝 」 を総裁選の争点とするように最初に訴えた政治家である。
 朝日新聞の週刊誌、 『 AERA 』 ( 5月15日号 )がこの山崎を 「 失墜したアジア外交復活を掲げ、勝負に出る。 『 麻垣康三 』 既定路線を蹴散らすのは、 『 ドス拓 』 しかいない 」 と激賞している。


《 朝日の露骨な煽り 》

 朝日新聞は文化人革命以来、メディアの媚中派の確信犯であるから、中国に従え! ということに関しては 「 同士 」 ということなのであろうが、それにしてもこれまで朝日新聞は山崎をどちらかといえばダーティな政治家として描いていたから、ここまで露骨な煽りは感心するほかない。
 この中で山崎は、祖父が戦前、大アジア主義を唱えた頭山満の 「 玄洋社 」 の幹部だったとかで、 「 だからアジアは一体かつ対等でなければな らないと思います。 現在、一部の政治家には、次の総理大臣に推されているようなやつの中にも明らかにアジア軽視思想を待ったのがいますか ら 」 と述べている。
 山崎は最近の政治家で数少ない腹の据わった人物だと思っていたが、中国に媚びて 「 A級戦犯 」 の分祀や新しい追悼施設の建設を主張するというのは、無知なのか霊璽簿からの削除を主張した民主党党首の小沢一郎と同様に 権力を掌中にするためなら、国家のことは二の次 というタイプの政治家 なのかだろう。
 総裁候補でもある福田康夫は官房長官だった2003年( 平成15年 )8月に訪中して胡錦濤と会談している。 ふつう官房長官は官邸の留守 番役で在任中に外遊することは少ないが、朝日新聞は 「 身代わり外交への期待 」 ( 2003年8月8日 )と論評した。 身代わりとはもちろん小泉首相の身代わりである。
 福田が何を考えているのかステルス作戦?( 沈黙を守ることで総裁候補としての存在感を高める )でよく分からないが、王毅駐日大使の親友と伝えられ、靖国参拝に批判的で、靖国神社に代わる新しい追悼施設の建設の推進役でもある。 6月23日インドネシアのジャカルタでの講演では 「 日中、日韓関係の冷却が地域統合の妨げになると指摘されており、三国の現状打開のための政治的英知と決断が求められている 」 ( 読売新聞6月24日 )と強調している。
 日本と中国は自由と民主主義という価値観を共有していない のに、やはり東アジア共同体なる妄想を真面目に考えているのだろうか。


《 媚中派と呼ばば呼べ 》

 小泉内閣の経産相でもある二階は、選挙区に反日教育に力を注いだ江沢民の巨大な石碑をつくろうとして物議を醸したほど自他ともに認める親中、媚中派である その二階に対するインタビューがこれまた朝日新聞系の 『 週刊朝日 』 ( 6月2日号 )に出ていた。 タイトルは 「 私を媚中派と呼ぶ方にいいたい 」 である。
 このなかで二階は 「 『 媚中派 』 なんて言葉が、日本の国語にあるのかな? 」 などととぼけている。 そして 中国による日本の資源盗掘 といった事態を招いている東シナ海のガス田問題についてはこう語っている。
「私は対話を通じた迅速な解決を目指しています。 『中国側を交渉のテーブルにつかせる』 などと偉そうなものの言い方をする人がいますが、そんなことをいくら力んでいってみたところで、うまくいくものではありません。 当然、相手の立場やプライドも考えないといけない」
「実際に現地まで行って試掘するのは民間の企業です。 つまりは帝国石油です。 先日、帝国石油の会長と社長に大臣室までおこしいただいて、私は 『あなた方は一部の人たちの期待に応えて、試掘にいかれるおつもりですか』 と聞いたんです。 そうしたら、 『私たちは平和の海でなかったら、とてもそんなところへ試掘にいけません』 とおっしやってました。 それはそうですよ。 日本の海上保安庁や自衛隊に守られて、試掘の作業なんか現実の問題としてどうして出来るんですか」
 これが担当大臣の言葉だろうか。
 試掘権を与えたのは政府である。 日本の国民、領土を守る義務を負っているはずの担当大臣の挑戦的な言動に帝国石油の経営者もさぞびっくりしたに違いない。

 「 アジア戦略研究会 」 で蠢く加藤( 元自民党幹事長 )と、古賀( 元自民党幹事長 )も、やはり朝日新聞のオピニオン誌、 『 論座 』 で、 「 親中派と呼ばば呼べ 小泉政治が歪める日本の行方 」 ( 2005年9月 )と題して対談している。
 古賀は、昨年日本遺族会の会長でありながら近隣諸国に配慮して小泉参拝は止めるべきだとの趣旨の発言をして批判を浴びていたが、 「 日本遺族会の目標のひとつは、英霊の顕彰です。 そのもっとも分かりやすい形ということで、首相や閣僚の靖国神社への参拝の定着を大きな目標に掲げてきました。 その思いは私個人も同じです。 ただそれは平和につながらなければ意味がない。 戦地でなくなった方々の意思もそこにあるでしょう。 だから私は平和を乱すようなことは何ひとつしてはならないと思うんですよ 」 と釈明している。
 また加藤も 「 残念ながらわれわれ日本人はあの戦争の総括ができていない。 『 一億人みんなが間違えた 』 という認識になって最終的な責任の所在をあいまいにしてしまう。 そこが日本とアジアの国々の論争となる 」 と媚中派である理由を語っている。
 古賀は6日に靖国神社の 「 総代 」 ( 神社運営に関わり10人で構成 )を辞任した。 自ら求める分祀について、靖国神社が出来ないと言っていることにケジメをつけたということだが、遺族会会長を辞めることはないという。
 7月16日から訪中した古賀は、17日に南京にある 「南京大屠殺記念館」 を訪れ献花した。 開館は 「百人斬り」 など 「嘘とデタラメ」 な展示で知られているが、古賀は 「( 過去を忘れずに未来を大切にするという )中国側の姿勢に心の豊かさを感じた」 ( 共同通信 )と語ったという。 古賀は遺族会会長として一線を越えてしまったようである。
 『 論座 』 の対談は最後にそれぞれ、自分たちこそ 「 保守本流 」 と確認し合っている。


《 すべては田中、大平から 》

 「 日中関係は今にも豪雨になりそうだ。 田中派と大平派の二つの派閥が協力し合いながらやっていかなければならない 」
 昨年の反日暴動後、中国から帰国した加藤は、自ら所属する派閥、当時の小里グループの総会で、そう発言した。 どうやらこれが加藤のいう保守本流らしい。
 日本の対中政策は、そのゆがみも含めて、すべて1972年( 昭和47年 )に日中国交樹立を実現した田中角栄首相と大平正芳外相( 後に首相 )の2人に始まっている。
 「 外務省で10年、政治家として30年、合わせて40年にわたって中国に携わってきた 」 という加藤は、その両派の流れを汲む勢力を結集することで媚中日本を実現したい決心のようである。
 ふたつの流れでは、パイプの太さ、政策決定過程への影響力という意味では田中―竹下―小渕―橋本という旧経世会系が図抜けていたといってもいい。 村山政権、橋本政権、小渕政権を通じて権勢をほしいままにした自民党元幹事長、野中も旧経世会の実力者である。
 また、いわゆる 「 ODA利権 」 は竹下元首相らの流れに帰属するものだろう。
 もともと日中国交樹立を果たした田中は外交に定見があったわけではなく、総裁選で当初は本命視され台湾派と目された福田赳夫を倒すために、 「日中国交回復」 に乗ったとされている。 実際、それによって田中は逆転勝利し、中国訪問は首相就任からわずか2ヵ月後という拙速ぶりだった。
 そういう専ら実利を尊び、非理念から出発したグループが政界の実権を握ったことは、ほかのあらゆる面でもいえることだが、やはり日本にとって不幸だったというほかない。
 これに対して、大平 鈴木 宮沢 加藤と継いできた宏池会系は、 「 侵略 」 を 「 進出 」 と書き換えさせたという新聞の誤報が元になって、教科書検定に 「 近隣諸国条項 」 を設けた宮沢( 当時、鈴木内閣の官房長官 )以降、中国の走狗とみなされるようになった。 加藤はもちろん、河野、古賀も宮沢の系列である。
 もっとも、大平、鈴水元首相は宮沢以降の政治家とは違う。 大平、鈴水元首相は 「 A級戦犯 」 合祀後にも靖国参拝を続けたし、敬虔なクリスチャンであった大平元首相は 「A級戦犯」 の合祀について新聞記者に詰め寄られて、 「歴史が判断すること」 とはねつけている。
 竹下のあと、対中外交にもっとも影響力を振ったのが野中と橋本である。 特に、野中は、その腕っ節の強さもあって官房長官、自民党幹事長という要職を通じて、絶大な影響力を振った。
 「 外務省を私物化した 」 鈴木宗男が頼ったのも野中だった。 その野中はやはり毎年のように訪中を繰り返したが、その際に同行したのが幹事長を譲ることになった古賀、それに旧保守党のニ階らだった。
 しかし、この構図にもここにきて変化が生じているといわれる。 自民党をぶっ壊した小泉政権によって旧経世会系が求心力を失うとともに、親中派とされる勢力も弱体化、特に、2003年( 平成15年 )の総選挙で野中が引退してから、中国とのパイプは、 「 開店休業 」 状態との指摘も あった。 橋本が亡くなって、この傾向にはさらに拍車がかかるだろう。
 古賀らは後ろ盾を失った状態で、中国も、政界に限っていえば新たな友好人士の育成を迫られているのかも知れない。
 中国の友好人士が力を失っている実例としてよく挙げられる例に台湾の前総統、季豊輝の来日問題がある。 総統を退任した季が2001年( 平成13年 )4月、 病気治療のため訪日を希望したとき、 外相だった河野と野中、 橋本、 それに意を受けた外務官僚が嘘までついて最後まで反対したが、 結局、 森内閣は人道的な理由でビザを発給した。 そして小泉政権下の昨年一月、季は観光旅行で来日した。


《 暗黒史観の虜 》

 媚中、親中派が 恥ずかしくなるようなデモンストレーションを繰り広げた ことがある。
 いまから4年前の9月、日中共同声明30周年を記念して北京の人民大会堂に日本から1万3000人を集めて交流式典を問いたのである。 同行した国会議員は何と85人に達した。
 人民大会堂は総面積17万平方メートルの巨大な建造物だが、1万3000人を一度に収容できるホールはなく、参加者は大講堂と宴会場の2ヵ所に分かれて式典を見守った。
 この大デレゲーションを束ねていたのが、橋本、野中 である。 会合にはこれまた異例なことに 江沢民、胡錦濤 というふたりの最高首脳が顔をそろえていた。
 毎日新聞は 「 遣隋使から始まった日中交流史上、最多の訪中団だ 」 と興奮して報じた。 橋本も前夜祭での会合で、中国側要人に対して 「もし場所を拝借できれば国会が開けます」 と軽口を叩いた。
 日本側が友好一辺倒だったのに対して、江沢民は 「 両国は二千年の友好関係があるが、近代に不幸な時代があり、日本の軍国主義が中国を侵略した。 これを教訓に両国関係は大きく発展した 」 と歴史問題に言及することを忘れなかったという。
 中国と日本の間には、その当時も、靖国参拝への干渉、日本のEEZ内での海洋調査船の活動、瀋陽総領事館への脱北者の駆け込み事件のウヤ ムヤ処理など様々な問題があったが、そういう重要な事はハナから議論されることもなく、日本の議員は中国要人との写真をとるために列を成したという日本の対中外交というものがどのようなものであったか、うかがい知れる光景である
 それにしてもこれだけの人をどのように集めたのかというと、 「 日中国交回復30周年を成功、発展させる議員の会 」 をつくって、各議員の後援会、自治体関係者らを集めたのだという。 ちなみに同会は橋本が会長に就任したほか最高顧問に森喜朗、公明党の神崎、保守党党首だった野田、会長代理に野中、幹事長に古賀が就任し、名簿には与党議員200人近くが名を連ねていた。 実際、親中派と呼ばれる主だった議員はみなこれに参加していたようだ。
 ときにトヨタ、日産など大型企業の中国進出のニュースが相次ぐ 「 第三の中国ブーム 」 がはやし立てられていた。 この夜、北京の工人スタジアムでは谷村新司と浜崎あゆみが歌った。
 しかし、この紙芝居のような友好劇は、日本ではあまり話題にならなかった。 この直前の9月17日に小泉首相が訪朝して、金正目との日朝首脳会談が行われたからである。
 野中は、自民党の経世会が分裂したとき、小沢一郎と真っ向から渡り合った。 自民党が野党に転落したあと、河野らととともに 「 自社さ 」 政権を誕生させたことが、その後の巨大な政治力の源泉となった。
 野中の巨大な政治力は、破綻した朝銀位組への1兆4000億円もの公的資金の注入北朝鮮へのコメ支援の実行、脱北者が瀋陽総領事館に駆け込み中国の警察官が在外公館の不可侵を侵した際に 中国に明確に抗議をしなかった阿南惟茂駐中国大使を更迭から守った ことなど、枚挙に暇がない。
 野中の中国、北朝鮮への傾斜は、ひとつには、日本に対する否定的な感情があった ようだ。
 「 戦前の私たちは知らないうちに、教育され、戦争に突入していった。 私はこういう民族性に恐怖を感じる。 私たちの世代は、暗い時代の思い出ひとつずつが現在のPKOの派遣だとか、常任理事国にどうしても入ろうと 『 ふつうの国 』 といって世界の列強と同じようなつきあいを求めようとするやりかたにダブってみえてくる 」 ( 『 私は闘う 』 文春文庫 )
 野中は昨年の総選挙を機に現役引退を表明したが、 「 あの戦争を2度と起こしてはいけないという思いからの発言が総務会で一顧だにされないという空気にいつのまにかなってしまったことに時代の流れを感じた 」 ( 『 老兵は死なず 』 文蕪春秋 )という。
 有事法制の制定やイージス艦派遣、イラクヘの自衛隊の派遣などをさしていたようだが、このような暗黒史観にこり固まった人物が自民党員で、しかも政権の中枢にあったわけである。 恐ろしいというほかない。
 引退したといっても野中は村山とともに日中友好協会の名誉会長である。


《 河野洋平の罪状 》

 日本が蒙った害を思えば媚中などという生易しい言葉では表現できないのが中国の期待度トップの河野衆院議長である。 村山元首相や土井元衆院議長らとともに反日政治家といってもいいだろう。
 河野は1993年( 平成5年 )に宮沢内閣の官房長官のときに証拠もないのに慰安婦の強制連行があったという 「 河野談話 」 を残した。 その後、村山政権で1994年( 平成6年 )から1996年( 平成8年 )まで、さらに小渕内閣で1999年( 平成11年 )から2001年( 平成13年 )まで外相をロングランで務めて罪状を広げた。
 外相時代、悪天候で搭乗機が台北に緊急着陸したが、 「外相としてふたつの中国を認めることになりかねないため飛行機からは一歩も降りなかった」 という話を後に得々と銭其深外相に報告したというエピソードの持ち主である。
 昨年6月、行事役である衆院議長の立場なのに、宮沢、橋本、森、海部俊樹、村山の歴代首相を集めて 「近隣諸国との急速な関係悪化は看過できない。 慎重の上にも慎重に対応すべきだ」 と靖国参拝を妨害してみせたことは記憶に新しい。

 いま話題になっている旧日本軍がソ連軍に引き渡し、日本に処理責任はないはずの 遺棄化学兵器の処理 を中国に約束したのも、河野が当時の村山首相と組んで行ったものである今後 処理費用は数千億円とも一兆円 近いともいわれている
 河野の 「 自社さ 」 政権の時の相棒だったのが、旧社会党( 現社民党 )の村山や土井である。
 その村山や土井が、それぞれ首相、衆院議長として行った 「 終戦50年決議 」 と村山首相による 「 村山内閣談話 」 は、もともとソ連や中国、北朝鮮を心の祖国としてきたグループだからでは済まされない禍根を日本政治に残している。
 それぞれ 「植民地支配」 や 「侵略」 を文書化して反省したもので、村山内閣談話はいまでも政府の足を引っ張っている。
 この談話を踏まえて、土井を団長とする謝罪使節団がアジア諸国を訪問したことがあったが、マレーシアやインドネシアでは 「50年前の戦争をなぜ詫びるのか」 ( マハテイール・マレーシア首相 )と遂にいぶかられる始末だった。
 もっとも中国には評判がよかった。
 当時の朱鎔基首相は村山との会談で、 「 村山元首相は日本政府を代表して、初めて侵略戦争を公式に認め、関係国の被害者に謝罪した首相であり、我々はこれを高く評価している 」 ( 人民日報海外版2000年9月19日 )と称賛した。
 政界の媚中、親中派を追っていけば切りがない。 公明党・創価学会も日中国交樹立にあたって親中の世論作りに大きな役割を果たした。 国交樹立当時は中国の内戦であった文化人革命の最中だったのだから、中国ブームを演出した責任は大きい。 そしてこれら 媚中とか親中とかいわれる政治家は大半が、北朝鮮にも融和的で、拉致被害者の運命に冷淡だった ことは注目していい。 国家意識が薄いから国民の生命や財産を守ることにも鈍感ということだろう


《 炙り出された中国の異質性 》

 北朝鮮が国際社会への約束を無視してミサイルを連続発射したことに対して、日本と米国のイニシアチブで北朝鮮非難の国連安保理決議が成立した。 この一連の取り組みのなかで、改めて浮き彫りになったのは中国という国と日本のメディアの異質性ではないだろうか。 北朝鮮をかばい続けた中国は、北朝鮮の唯一の同盟国である。 だが、欧米の報道機関がごく普通に報じているこのことすら日本の多くのメディアは、まともに報じなかったのである
 ミサイル発射で国際社会が揺れていた7月10日にも、中国と北朝鮮は軍事条約である 「 中朝友好協力相互援助条約 」 締結45周年を記念して祝賀メッセージを交換している。
 それなのにメディアには、中国が本気で北朝鮮を抑えにかかっているような解説が横行していた。
 中国共産党との友好を何よりも優先する朝日新聞となると、北朝鮮の脅威に対抗するのに日米同盟の重要さを強調するのではなく、 「 日中韓の連携を強めよ 」 ( 7月6日社説 )として、小泉首相の靖国参拝が連携の障害になっているといわんばかりだった。
 毛沢東の生涯を描いた話題の書 『 マオ 』 ( 講談社 )でユン・チアンは 「 毛沢東は抗日に熱心だったと信じられていますが、事実は令く逆で、日本が中国を広範に占領する展開を歓迎していた 」 と書いている。
 日本と当時の中国の統治者である蒋介石の中華民国を戦わせ、中華民国と日本の消耗を待って権力を奪取するというのが毛沢束の紛れもない対日戦略であった。
 このため 『 マオ 』 では毛沢東と中国共産党は支那事変を拡大させるように第ニ次上海事変などさまざまな謀略を行ったと指摘している。
 今の中国を独裁的に支配する中国共産党こそが、あの戦争の最大の利益享受者であることは毛沢東も証言していた。 自らの利益のために日本を戦争に引きずり込んだ疑いが濃厚なのである。 それなのに国共内戦も新中国の建国も、直接には知らない革命第四世代の胡錦濤国家主席ら指導層は、口を開けば 「戦争の反省を態度で示せ」 といい、媚中派と呼ばれる人々はこれに呼応して 「日本は加害国としての反省が足りない」 などという のである。

 この夏も多くの政治家が訪中し、要人と会談しては中国のプロパガンダを垂れ流すことだろう。7月に入ってからだけでも民主党の小沢や自民党の逢沢一郎、船田元、さらには古賀と続いた。 北側一雄国土交通相、中馬弘毅行革担当相らも訪中し、杉浦正健法相も近く訪中する予定だ。だが、共産党独裁を守るために歴史を程造する中国と本当に友好関係の樹立が可能なのかどうか、政治家はよくよく考えてみる必要がある のではないか。


《 訪中に熱心な政治家たちの “下心” 》

 反日政治家と呼ばれ、北朝鮮に媚び、韓国に謝罪し、中国に朝貢を続ける政治家は、それぞれバラバラではなくて、どう見ても多くが重なっています。 その輪郭が最も明瞭に重なっているのが野中広務だったり、加藤紘一、河野洋平、橋本龍太郎ということになるのでしょう。
 まことに残念ながら、名前を挙げていったらきりがなくなるかもしれません。 平成14年は日中国交回復30周年でした。 「 国交回復 」 という呼び方にも問題があるのですが、ここでは措きます。 日本にとってより重要だったのは、平成14年が日本の独立回復50周年だった ことです。 それなのに独立回復記念については全然言わず、日中友好30周年ばかりに熱心だった日本の政治家は少なくない。
 実際は 日中友好30周年などという節目はどうだっていいのです 日本はそれ以前にチャイナ( シナ )を代表する政権として蒋介石の中華民国( 国民党政府 )と講和条約を結んでいるのであり、北京の毛沢東共産党政府は、国連安保理の常任理事国の地位を国民党政府の代わりに得ているわけです。
 したがって外交条約も包括的に引ぎ継いでいるはずであり、わざわざ 「 日中友好 」 などと熱に浮かれて余計なことをせずに、日本としては蒋介石との条約を手直しして、北京政府との国交を持てばよかったのです。 率直に言えば、30年前の日中国交回復というのはその程度のものだったのです。
 しかし、いまだに日本の政治家は熱に浮かれたままであるらしい。 日中友好30周年を祝うために、野中広務や古賀誠、山崎拓、冬柴鉄三、二階俊博ら与党幹部をはじめ、国会議員だけで百人以上が中国を訪れているほか、政治家に交じって、阿南惟茂、谷野作太郎ら現・前駐中国大使も祝賀行事に参加しています。 議員の後援会関係者や中国とビジネスをしたがっている企業の関係者なども動員されたようで、それらを合わせると実に一万人を超える日本人が祝賀行事に訪中したという。 大挙して“中国詣で”にやってきた日本人の列をながめて、江沢民主席はいたく御満悦だった という報道もありました。 もちろん橋本も祝賀行事には参加しています。 側聞するところでは、病気だったと言われながら、一昨年( 平成14年 )は4回も訪中したそうです。

 日本の政治家が訪中に熱心なのは、やはり13億の人口を抱える巨大市場、ビジネスが関係しているからでしょう。 利権が大きく関わっている。 中国はまだまだ人治の国で、法治国家ではありません。 顔が利く人物にビジネスの仲介なり段取りをしてもらわないと、うまくいかない。 当然、政治家としてはキックバックなどの旨みが転がっている。 中国との関係維持は、そのまま自らの資金源の確保になるという構図です。 彼らの “下心” が透けて見えますね。 イギリスとの祝い事に押しかける議員はまずいませんからね。 イギリスとの交流で議員がうまい汁を吸う機会はないからです。

 とにかく日本国の政治家でありながら、日本国の主権や利益よりも相手国の立場や利益を優先させるような言動をする政治家には、疑念の目を向ける必要がありますね。 自国の政治家の売国的行為をチェックしなければならないとは、まさに 「国家として喜劇的悲劇」 のなかにわれわれはいる。


《 媚中派政治家の跋扈 》

 したたかな中国は、あらゆる手を講じて、靖国参拝を阻止しようとした。
「福田氏を立てて、なんとか媚中派政権を作ろうとしたり、古賀誠・元自民党幹事長を利用して揺さぶりをかけたり、中国はさまざまな動きをしています」( 政治部デスク )
 福田氏が突如、総裁選への不出馬を明らかにしたのは、7月21日のこと。福田氏の戦線離脱が中国に与えたショツクは、計り知れない。しかし、中国が期待する政治家はほかにもいる。中でも、古賀誠氏の存在は大きいという。
 政治ジャーナリストの山村明義氏がいう。
「古賀さんは、日本遺族会の会長を務めています。 分祀論を主張しており、今回の、A級戦犯の靖国合祀に昭和天皇が不快感を待っておられたという “富田メモ” の報道を受け、遺族会としてもA級戦犯の分祀について検討すべきだという見解を示しました。 中国にとっては、実にありかたい存在なのです」
 日本遺族会といえば、靖国神社に合祀されている英霊たちの家族が組織する団体である。その内部から分祀論が出てくれば、たしかに靖国神社は足元から揺らぐことになる。
「古賀さんは分祀論を引っ提げてこの7月中旬に訪中し、中国の要人と会談して、“分祀論が日本国内で受け入れられるなら、いいことだ” というお褒めの言葉を頂戴している。 その上で、南京虐殺記念館を訪問して献花し、“中国側の姿勢に心の豊かさを感じた” というコメントまで出しました」( 北京特派員 )
 中国にとっては、こういう政治家が、靖国神社と関係の深い遺族会のボスであることは、ありかたい。が、遺族会内部では、これに反発する勢力も少なくない。
 板垣正・日本遺族会顧問がいう。
「古賀さんの分祀論は、非常に遺憾です。一度きちっとお祀りした “お墓” を暴くことなど理解できません。 御霊を弔うというのは、日本の伝統的な文化であり、国柄なのです。 一体となった御霊を取り下げるなど、不可能。 戦犯に関しても、確かに指導的な役割を果たした責任はあるでしょうが、昭和28年の国会決議では、この人たちも公務に殉じた死であることが認定されている。 国民の総意でそう認定したものを、何十年も経って御霊を断罪することなど、許されません。 私は古賀さんに “その考えは、遺族会会長の立場と一致しない。 靖国神社の総代としても一致しない” とはっきり伝えています。 その結果、古賀さんは靖国神社の総代を辞任した。 少なくともこの問題を政治的に利用することは許されない。 それが中共の言い分に沿ったものだとすると、尚更です」
 遺族会の中では、古賀氏の分祀論への反発は、今や覆い難いものとなっている。 中国要人に “拝謁” して、こともあろうにお褒めの言葉を頂くような政治家が遺族会会長であるというのは、ブラックユーモア以外の何物でもないだろう
 前出の山村氏がいう。
「中国側は、小泉氏の靖国参拝を阻止するということと、安倍さんが首相になった際に参拝をさせないという “二本立ての方針” で動いています。 ただここへ来て、安倍さんへのアプローチに重きを置き、安倍さんが総理になった後の10月後半に、正式に訪中してくれ、とオファーしていると言われています。 しかし、それには条件があり、安倍さんが総理になった後も、8月15日に靖国を参拝しないという保証が欲しい、というのです。 終戦記念日さえ避けてもらえば、何とか日中間の大問題にせずにできるということなんでしょう」
 中国側も、安倍政権下でも “冷戦” が続くことだけは避けたいのである。


《 財界からの工作 》

 さて、日本有数の “媚中派勢力” である公明・創価学会の抵抗はどうなのか。
 政治部記者がいう。
「創価学会は靖国参拝に反対ですから、公明党ももちろん同じです。 しかし、同時に与党であることがあの党にとっては最大の狙いですから、どんなことがあってもついていきます。 福田政権樹立のために、今年の正月あたりから、公明党は盛んに地方組織を動かしていましたが、福田さんの不出馬は大きなショックだった。 公明党の幹部は、来年の参院選で自民党が大敗して、安倍政権は短命に終わるだろうと見ており、 “心配しなくても安倍の( 来年の )終戦記念日の参拝はないよ” と意味深な言い方をしていますね」
 また、参拝阻止への財界の工作も涙ぐましいものだった。
「経済三団体は、 “これ以上、日中関係が悪化して日系企業を標的に暴動でも起こされたら堪らない” という立場でした。 そのために、どうしても靖国参拝はやめて欲しかったのです」
 と、経済部デスクがいう。
「特に経済同友会は5月9日に靖国参拝に反対する提言をまとめ、北城恪太郎代表幹事が会見で “中長期にわたっても、靖国参拝は好ましくない” と発言しました。 このまま日中関係が靖国参拝で悪化すれば、今の “政冷経熱” の状態が続く保証はなく、せっかく開拓した市場も他国に取られる恐れがあるんです。 日本経団連の奥田碩前会長が熱心に中国との関係を取り持とうとしましたが、小泉さんは “商売人は政治に口を出すな” と、これを受けつけなかった。 さまざまなルートで経済界は参拝阻止に動きましたが、功を奏したものはなかったですね」
 財界が使ったユニークな手法には、 “血縁による説得” もあったという。
 経団連の開係者がいう。
「それも小泉さん直接ではなく、安倍さんでした。 実は、西村正雄・みずほフイナンシャルグループ元頭取と安倍晋三さんは叔父と甥の関係です。 父親の故・安倍晋太郎氏と西村氏が、異父兄弟。 しかも、大人になってから兄弟だと知った関係で、それからの兄弟の仲のよさは特別でした。 晋太郎氏が総理直前で亡くなった後も、西村氏はつきあいを深めたので、晋三氏に対する影響力は相当なものがあった。 それで、財界は西村氏を通じて晋三氏の靖国参拝、ひいては小泉さんの参拝をストップしてもらうべく動いたのです」
 8月1日、その西村氏は心不全で急逝した。
「西村さんは、“国際的に、A級戦犯が合祀されている神社への参拝を正当化する理屈は存在しない” という考えの持ち主だった。 血縁もあって、経済界の意向が安倍さんに直接伝えられ、安倍さんを通じて小泉さんにも伝わっていました。 今後もこれが官邸への大きなパイプになったことは間違いありません」( 経済部記者 )
 財界は、安倍氏に対して影響力を持つ有力者を失ったことになる。
「小泉さんは “財界の人から商売のことを考えて参拝に行ってくれるな、と言われているが、そもそも政治や信念と商売とは別なので、お断りしている” と、一切応じなかった。 経済三団体には、それぞれ事務局があり、そこには永田町担当の職員がいて、情報収集や戦略の構築をはかっていますが、果して今後どういう戦略を立てますか ……」( 同 )


《 新・日中時代の幕開け 》

 靖国参拝をめぐる問題では、小泉氏とメディアとの暗闘も見逃せない。
 8月5日、広島の被爆者追悼式典出席の前に山口県萩市を訪れた小泉首相は、かの吉田松陰を祀った松陰神社に参拝しているが、この時、マスコミとの間でこんなやりとりがあった。
 二礼二拍手一拝の神道の形式でお参りした小泉首相、
「これは靖国参拝の予行演習ですか?」
 と、問う記者に、
「私は、神道形式で参拝しましたが、これは憲法違反ですか。 どう思いますか。 どうして( 靖国だけ言って、こっちは )憲法違反と言わないの?」
 と逆に質問したのだという。 記者たちは答えに窮したそうだが、たしかに中国のお先棒を担いで靖国参拝にケチをつけ、時には憲法違反とまでブチ上げるメディアにとっては、耳が痛かったに違いない。
 朝日新聞出身の評論家、稲垣武氏がいう。
「小泉さんのこの逆質問は、靖国問題ですぐに揚げ足を取ろうとする記者たちに対して喧嘩をふっかけたみたいで痛快です。 彼の念頭にあったのは、やはり朝日新聞でしょう。 そもそも靖国問題も中国や韓国にご注進して火をつけ、外交問題に仕立て上げた張本人が朝日であり、中韓はそれによって、これが外交カードに使えることを知ったのです。 小泉さんが記者に食ってかかる気侍ちはわかりますよ」
 政治評論家の屋山太郎氏もいう。
「靖国参拝が問題だと騒いでいる媚中派や財界のバツクには必ず中国がいます。 そもそも神道は日本独自のものであり、そこへ霊魂を信じない連中がいろいろ言ってきても応じる必要などないんです。 この5年間、小泉首相が彼らの要求を拒否してきたために、さすがに彼らもこのままだと自分たちの方が干上がってしまうことに気づいた。 また日本人も、相手の土俵に上がってひたすら土下座することだけでは何も生まれないことがわかってきた。 小泉氏を引き継ぐ安倍氏は、これから自由・民主主義・基本的人権・法治という四つの土俵で勝負すればいい。 中国の顔色を窺って外交をする時代は、もう過ぎたのです」
 いよいよ、 「 8・15 」 を経て、 “新・日中関係” がスタートするのである。





正体は財界の口利き役
 自民党の媚中政治家( 屋 )
    古賀、谷垣、河野、加藤、山拓 ……
エールを送るのは日本の外需型大企業!

 「 戦後レジームからの脱却 」 をスローガンにした安倍内閣が突如瓦解し、福田康夫を首班とする新内閣が誕生した。
 結論からいうと、この政権の役割は、冷戦以後、日本社会の底辺からかすかに湧き上がってきた国民のナショナリズムを、 「 米国 」 と 「 中国 」 、そして財界の経済活動の障害にならないよう、管理することにある。 福田首相と彼を担いだ自民党の面々たちの狙いは、 「 戦後レジーム 」 からの脱却ではなく、矛盾に満ちた戦後体制をもう一度 「 制度化 」 しようとすることだ。 古い自民党がよみがえった。
 具体的には、米国外交との協調を優先した北朝鮮との和解、来年度に廃止が決定している中国向けODA( 政府開発援助 )の復活、さらには、政治問題化しがちな靖国神社に代わる国立代替施設の建設、女性・女系天皇制を容認する法律改正が挙げられる。 福田政権がこれから着手するのは、ナショナリズムに覚醒し、今までの融和的な土下座外交にノーといい始めた日本人の牙を抜くことなのである。
 参議院選挙での自民党敗退直後から 「 次期総理に福田康夫を 」 と画策してきた人々は、その後の自民党総裁選にあたって、党内を福田で一本化することに成功した。 小泉・安倍政権当時、対中利権から排除されてきた代表的な媚中政治家たちも、いっせいに福田を担いだのである。

《 「古賀誠」 の生命線 》

 マスコミ各社の政治部記者が 「 福田後継の仕掛け人 」 と一様に名前を挙げるのが、古賀誠( 元幹事長 )である。 彼は小泉・安倍内閣と続く清和会( 森派 )政権の6年間、非主流派閥として一貫して冷遇されてきた。 その結果、古賀が長年育ててきた道路利権だけでなく、中国への政治力もまた細り始めていた。
 これには二つの理由があった。
 第一の理由は、古賀を中国政府要人たちにつないできた旧経世会( 旧橋本派 )の実力者・野中広務 元自民党幹事長が引退し、、旧経世会と対立関係にあった小泉に、対中パイプを締め上げられたことである。
 この後、名前を挙げる媚中政治家、なかでも当時の反主流派の面々にとって、小泉時代は、まさに暗黒の時代だった。 とりわけ、30年近くにわたって増え続ける一方だった中国向けODA( 政府開発援助=円借款、無償援助、技術協力 )が中止・削減に追い込まれたことは決定的だった。
 彼らは中国への経済支援プロジェクトに関与し、日本企業の参入などに影響力を行使することで、日本側にも中国側にも、一定の政治力を行使してきた。 それもこれも、援助マネーがあればこそ可能だった。
 しかし、小泉は、靖国神社参拝に反発する中国政府の 「歴史カード」 に対抗して、ODA削減という 「援助カード」 で対抗 そこには同時に援助を牛耳ってきた抵抗勢力の中核、旧経世会の政治力をそぐ狙いもあった。 国内の公共事業ばかりか、 「 日中友好 」 利権も同様に標的とされたのである。
 小泉が、どれだけ中国向けの援助マネーを締め上げてきたかは、次の数字を見ればわかる。
 小泉の首相在任期間は、2001年4月から2006年9月までの約5年半。 それ以前の政権は、旧経世会の橋本内閣( 1996年1月〜98年7月 )、小渕内閣( 98年7月〜2000年4月 )、その後は小泉と同じ派閥・清和会( 森派 )の森内閣( 2000年4月〜01年4月 )となっている。
 これを中国支援との関係で見ると、橋本・小渕内閣当時の96年から2000年までの5年間、円借款の合計は9870.36億円。 単年度当たり平均1974億円である。 これが小泉政権になると、4年間で、4651.47億円。 単年度にすると1162.8億円となり、ほぼ半減する。
 対中ODAはこの後05年度、06年度とさらに減少を続け、ついに08年度での廃止が正式に決定した。
 ODAを牛耳ってきた旧橋本派や古賀たちからすれば、毎年、円借款だけで1000億円ものマネーが消えてしまったのである。
 小泉は実に喧嘩上手な首相でもあった。 世論を味方につけたからだ。
 小泉時代、内閣府の調査でも、国民の対中感情は坂道を転がるように悪化している。 内閣府の 『 外交に関する世論訓在 』 では、ほぼコンスタントに 「 中国に好意を持だない 」 が3分の2を占めるほど、国民の意識は大きく変わり、対中ODAにも反発の声が高まっていたからだ。
 古賀にとって痛かったのは、援助の中止・削減だけではない。 古賀は野中らとともに中国援助にも一定の発言力を持っていたが、彼らの中国側パートナーで、対日利権を仕切る実力者、曾慶紅国家副主席の政治力に翳りが見えてきたからだ。 曾は江沢民・前国家主席の腹心で、日本政財界との窓口を務めるキーマンだったが、小泉の靖国参拝による対日関係の悪化と、05年の反日デモのせいで、曾の 「 親日的傾向 」 が、胡錦濤政権内部で問題視されたのである。


《 バラ撒き外交に大活躍! 谷垣、加藤、山拓 》

 いち早く福田支持を打ち出した媚中政治家として有名な谷垣禎一財務大臣( 当時 )も、古賀と同様に 「 冷や飯組 」 のメンバーだった。 2人は共に元親中派閥の 「 宏池会 」 幹部( 07年10月引退 )。
 谷垣は 『週刊文春』 ( 05年12月8日号 )に、かつて中国で買春がらみの事件に巻き込まれ、中国公安当局から取り調べを受けたことがあり、そのため財務大臣当時、武大偉駐日大使( 当時 )から、中国向け円借款の増額と継続を強く要請されたと報じられたことがある。
 この記事については、谷垣側が文芸春秋社を訴えて勝訴しているが、彼は援助の要請を本当に断ったのだろうか。
 結論からいえば、谷垣は円借款の要請は拒否しているが、中国のために事実上の迂回融資を行なった可能性は極めて高い。 すでに触れたように、彼は小泉政権時代、3年にわたって財務大臣を務めたが( 03年9月〜06年9月 )、その間、財務省の管轄する国際援助機関 「 アジア開発銀行 」 からの中国向け融資が、ODAの中止・削減と反比例するようにうなぎのぼりとなり、彼の在任中、その額は円借款の2倍 ( 1700億円 )にも膨張しているからである。
 しかも、このなかには円借款で中止されたはずの湘南省などの道路プロジェクトヘの融資も存在している。 こうしたことは財務省トップの谷垣大臣の意向抜きにはありえない。
 さらに先の自民党総裁選で動いた加藤紘一、山崎拓らの場合はどうか。
 すでに党内では政治力を失って久しい2人だが、アジア外交の推進を名目とする議員の集まり 「 アジア外交・安保ビジョン研究会 」 を先日旗揚げしたばかり。
 メンバーには、谷垣禎一や経済ロビー 「 日中協会 」 の会長である野田毅元自治大臣、それに高村正彦 「 日中友好議員連盟 」 会長( 外相 )、さらに先の総裁選で麻生太郎候補を応援した市民を 「 おたく 」 と罵倒した後藤田正純、また官房長官時代の福田の下で北朝鮮外交を担当し、血の通わない対応で拉致被害者の家族から顰蹙をかったばかりか、上海領事館の職員が中国のスパイエ作に抗議して自殺した事件のもみ消しをはかったとも報じられた、川口順子元外相らの顔がある。
 彼らの当面の目標は、 「 北朝鮮との国交正常化 」 ( 政界関係者 )にある。 それを裏づけるように、加藤らは今年の5月に中国を訪問し、中国と北朝鮮の国境を視察した。
「明らかに中国政府と相談したうえでの出来レース。 拉致問題解決を大前提とする安倍内閣では、北との交渉が進まない。 だが、北との正常化でこの地域に日本の援助が入ることは、東北開発を進める中国政府にとっても緊急課題。 視察は対北正常化の世論作りのための演出です」 ( 関係者 )
 こう説明されると、なぜ北朝鮮利権で有名な山拓が同会にコミットしているのか、その理由が実によくわかる話である。 今や北との和解は、日本の親中勢力と中国政府の共通の目標なのである。


《 媚中政治家と財界の“絆” 》

 福田政権誕生を喜んだのは、河野洋平 衆議院議長も同様だ。 彼は中立性が問われる衆議院議長でありながら、同時に特定民間企業の中国ビジネスをサポートする経済ロビー 「 日本国際貿易促進協会 」 ( 国貿促 )の現役の会長でもある。
 同会は東芝、三菱重工業、日立製作所、島津製作所などのメーカーや、三菱東京UFJ銀行、全日空、森ビルなどの優良企業が会員となっており、昨年12月、今年7月と、河野自身が会員企業のトップを引き連れ、中国首脳に対するビジネスの仲介工作を行なっている。 ちなみに河野は、福田と旧知の間柄だ。
 親中政治家ばかりではない。 福田政権誕生の背景にあるのは、財界の強い意向である。 日本経済の構造的変化がそこにはある。
 85年9月のプラザ合意以降、ドルに対して円は強くなる一方だった。 円高になれば、対外輸出競争力は嫌でも著しく低下する。 それを恐れた家電や繊維などの業界が、生産拠点をアジア地域にシフトし始めた。 少しでも生産コストを減らそうとする企業が、最初はNIES( 台湾、韓国など )、AEAN( フィリピン、インドネシアなど )、そして最後には中国に殺到した。
 その結眼、日本国内では工業の空洞化が本格化し、企業も国内中心か、海外に拠点を移すかによって、経営戦略が大きく変わることになった。
 財界にとって日中経済の比重は大きい。 投資金額にしろ、貿易額にしろ、戦後長らく日本経済を支えてきた米国に追いつき、それを凌駕する勢いだからだ( 貿易額は、国交正常化当時の200倍、2073億円に。 投資金額も580億ドルに達している )。
 今や中国には在留邦人が10万人も住んでいる。 小泉が靖国神社参拝を続けていた頃、多国籍企業化した日本のビッグビジネスの首脳から、 「 これでは中国との商売がうまくいかない 」 との声が湧き上がったのも、背景に、こうした中国とのビジネスの相互依存関係の深まりがあったからである。
 そのなかには、世界のトヨタの奥田碩前会長、日本IBMの北城恪太郎会長( 経済同友会代表幹事兼任 )、小林陽太郎富士ゼロックス会長( 肩書きはいずれも当時 ) ら、そうそうたる財界首脳の名があった。
 だが彼らの不満は、氷山の一角にすぎない。 国境を越えてグローバル化しつつあるトップ企業にとって、貿易や投資の相手国との良好な政治的関係こそが、最優先される。 彼らは、国民の正当なナショナリズムの発露であろうとも、それがビジネスに障害を与えるほどの政治的影響力を持つことに警戒的である。


《 リベラルを装う利権集団 》

 2001年2月、財界の総本山 「 経済団体連合会 」 ( 経団連 )は、 『 21世紀の日中関係を考える 』 という提言を行なった。
 その中味は、 「 中国の改革・開放以来、両国間の交流は飛躍的に発展し、いまや両国は経済的に高度な相互補完関係にある 」 ものの、両国国民の間には歴史認識や安全保障問題など 「 主として政治領域 」 において互いに不信感がなお存在し、 「 しばしば両国間の経済交流の発展を阻害して 」 きたと警告するものだった。
 提言は、 「 村山談話 」 ( アジア諸国の植民地支配に対する全面謝罪 )を高く評価し、歴史認識への政治家の不規則発言を牽制、日中両国の間で教科書共同研究を行なうことも呼びかけた。 台湾問題についても、 「 中国の内政問題 」 と日本の不関与を明らかにし、対中O DAには 「 国民への速切なPR 」 を強く期待するものとなっている。
 提言が発表された2001年の暮れ、中国はWTO( 世界貿易機関 )に加盟した。 これにより、中国と世界経済、日本経済のつながりはさらに加速し、国境を越えたヒトとモノのグローバル化か本格化した。 つまり 『 21世紀の日中関係を考える 』 という意見書は、日本財界の中国市場への参入を前にして、政界に対して、それにふさわしい中国との政治的環境をつくるように要請したものなのだ。
 だが、小泉と安倍政権の6年間、日中関係は、( 安倍時代にいくらかの修正はあったものの )財界の期待からは程遠いものだった。
 福田政権誕生直後、日本最大の中国経済ロビー団体 「 日中経済協会 」 の張富士夫会長( トヨタ自動車取締役会長 )は、150名もの企業首脳を連れて訪中し、温家宝首相らと会見。 環境や省エネ、地域対策に関するビッグプロジェクト参入について、大々的な商談を行なっている。
 彼ら世界的な優良企業の首脳が期待するのは、小泉、安倍と続いた 「 ポピュリズムにして、過剰にナショナリスティック 」 ( 日中経済関係者 )な対中外交ではない。 彼らは中国と争うことのない福田新総理による早期の中国訪問と、来年度に廃止が決定している対中援助の復活を求めている。
 また、日本のゼネコン、商社などの大手各社は、日本と北朝鮮の国交正常化によって生まれる、1兆円以上もの経済支援特需を期待している。 日本と北朝鮮の国交樹立には、北との関係正常化にひた走る米国ブッシユ政権や、北と隣接する東北三省( 黒龍江省、遼寧省、吉林省 )の大開発を急ぐ中国からも、熱いエールを送られている。 中国が経済的な波及効果を計算しているのは間違いない。
 だが、 対中援助の再開にしろ、 北との正常化にしろ、 日本国民の誰がそんなものを望んでいるというのだろうか。 福田内閣を誕生させたのは、 「暗黒の日中関係」 ( 中国経済誌 ) が続くことを恐れた中国政府と日本の財界、 そして彼らの間でブローカーのように暗躍する媚中政治家・ロビイストたちだった。 古賀( バックには引退した野中広務元幹事長がいる )、 谷垣、 加藤、 山拓、 河野ら 「リベラル」 を装う利権集団のことである。 福田政権が、 戦後最大の売国政権になる危険を認識しておかなければならない。