売国奴列伝
田辺誠



「 30万人虐殺 」説を最初に持ち込んだ
  田辺誠元社会党委員長
   ( 現民主党群馬県連常任顧問 )

 『 侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館 』という長ったらしい名前のメモリアル( いわゆる「 南京虐殺記念館 」 )が支那の南京郊外の江東門近くにある。 サヨクの聖地であり、如何わしく、おぞましい場所である。
 あの『 南京大虐殺 』という旧・日本軍の蛮行を、子々孫々にまで伝えるための記念館だという。
 あまり知られていないが、これは当時の日本社会党、今の社民党の田辺誠が提案し、わざわざ二度も支那に頼みこんで「 総評 」が建設費を出し建てたものだ。
 このような自国民を陥れるものをわざわざ作るとは社会党というマゾ政党は狂っているとしかいいようがない。 また、この建物に30万人と言う被害者数を記しているが、この数字について支那側は、「 政治的数字だ 」と返答した。 つまり、「 30万人 」と言う数字は「 歴史的事実 」では無く、「 政治的数字 」であると、支那が自ら認めている訳だ。
 この30万人虐殺の記念碑を最初に建てたのも、社会党委員長だった田辺誠だ。
 もともと、こんな事は中国でもあまり知られていることではなかった。
 それはそうだろう、そんな事実はなかったから!
 当時を知る人が健在の時、こんな事は知らなかったはずだ。
 これを問題化したのは、日本の左派勢力であることはいうもがなだ。
 ここに展示されている「 証拠写真 」といわれているものもやらもほとんどがやらせ写真あるいは合成写真などだ。 それをわかっていながら証拠として南京大虐殺はあったと報道する本多勝一をはじめとする反日マスコミは狂っているとしかいいようがない。 御多分にもれずに、野中、土井、村山、菅などの靖国神社には参拝しない反日政治家どももここには訪れて、献花などしている。 このような国賊、売国奴は早く逝ってほしいものだ。
 中共政府は今、この『 大屠殺遇難同胞紀念館 』の敷地面積を3倍にし、世界文化遺産( 「 負の遺産 」 )に登録する運動に力を入れている。
 広島の原爆ドームやアウシュビッツのユダヤ人強制収用所が、ともに世界文化遺産に指定されているのに、『 南京大虐殺 』は国際的に知られてもいなければ関心も払われていない。
 だから、世界文化遺産に指定されることによって、日本軍国主義の極悪非道を世界中にアピールしたい。 中共政府はそう考えているのである。
 中国の歴史教科書の歴史検証なども、日本に対してではなく、北京オリンピック対策だと言うことを忘れてはならない。

「 南京大虐殺の館 」を実際に訪れると、要人訪問者の名前を書いたリボンには、自民党の野中や社民党村山などおなじみの面々や、県教職員組合などが…。
 サヨク組合の支配下にある学校では、ここが修学旅行のコースになる。 はるばる支那まで支那共産党の嘘プロパカンダを受け、反日日本人となるための修学旅行。 そんなものに父兄は高価な金を支払わされるのだ。
 昨年公立高校の修学旅行先からこの気狂い記念館を除く事を決定した鹿児島県議会に対して、竜谷大学の田中宏などがつくる「 ノーモア南京の会 」とかいう反日気狂い団体だけでなく、この南京大虐殺記念館からも抗議がきたというニュースには唖然とした。 このようなプロバガンダ記念館をつくった土井たか子をはじめとする社民党の責任はとてつもなく重い。

 それにしても人間の骨を展示する発想。 我々日本人には考えられないものだ。 例えばアメリカによる空襲の犠牲者の人骨の山を展示する「 東京大空襲記念館 」を思い浮かべてみればいい。 東京各地にある墓をあばいて人骨を掘り出し、ポーズをつけて展示する「 東京大空襲記念館 」を。 おぞましさに身の毛がよだつ悪趣味さ。
 人間の遺体をプロパカンダの展示物に用いる発想これはまさに、人間をほとんど家畜程度にしか扱わない支那ならではの発想だ
 このおぞましい記念館は↓こういう公式を明瞭に証明している。
 「 ナンキンダイギャクサツ 」を盲信する人間=人間の大量の遺体を政治宣伝に用い「 記念館 」で展示するというおぞましい発想への嫌悪や疑念を感じない人間=社民党田辺/村山/自民党野中=サヨク。
 という公式である。
 こういう連中のみ集まってが政権を握ると、我々の骨も「 テンノーシュケンタイセイの犠牲者の骨 」という説明付きで展示される社会体制となるのだろう。 その社会体制の狂的な弾圧により虐殺された後で。
 社民党田辺、自民党野中、社民党村山の骨も、ぜひここに飾りたいものだ。 土下座ポーズをさせ「 支那共産党への忠義をつらぬいた紅衛兵の骨 」の説明付で。 この提案、本人達は嫌悪するより案外喜ぶかも。


実際に、中共政府は事あるごとに、この『 南京大虐殺 』を国際舞台で持ち出している。
国連総会は昨年の11月1日に、1月27日を第2次大戦中に起きたユダヤ人大量虐殺( ホロコースト )の『 国際追悼デー 』にする決議案を採択した。
この決議案の採択後、中国の国連代表部書記官は、『 60年前、アジアの人々も筆舌に尽くしがたい苦しみを受けた 』と演説。 『 1937年の南京大虐殺で30万人が死亡した 』として『 ユダヤ人と同じようにアジアもこの歴史の一章を決して忘れない 』と、『 ホロコーストと南京大虐殺を同列視する 』発言をしている。

この記念館の建設は、1983年に文部省( 現・文科省 )が高校の歴史教科書を検定した際、『 中国を侵略 』となっていた原文を『 中国に進出 』と書き換えさせたことに起因する。 これを知った南京市民が憤激し、この記念館が開設された。
これが中国側の説明である。
‥‥‥が、実際は、『 侵略 』を『 進出 』に書き換えさせた教科書など一つもなかった。 つまり、日本のマスコミによる虚報だったのである。
この虚報の事実を読者に訂正・謝罪したのは、産経新聞だけだった。 だから、この虚報を、本当のことだったと思っている日本人が今でも多いのである。

この記念館建設の事実は前述のように、『 教科書事件 』の報道に便乗して、田辺誠社会党書記長( 当時・後に委員長 )が中国を焚きつけたのである。 建設費も『 総評( 現・連合左派 ) 』が出した。
この田辺書記長は、1985年の中曽根首相( 当時 )の靖国神社公式参拝に際しても、わざわざ北京まで行って胡耀邦総書記( 当時 )に『 なんでもっと怒らないのか! 』と抗議した。 それでも民主改革派で経済重視派だった胡耀邦総書記は、中曽根首相の靖国参拝に対して抑制的だった。 すると田辺書記長は旧満州に行き、そこで更に煽った。
その結果、『 靖国参拝反対 』が中国全土に広がり、胡耀邦は政治生命が危うくなった。 『 胡耀邦が危ないぞ 』というので、中曽根首相は翌年から靖国参拝をやめた。
胡耀邦は民主改革派であり、経済重視派だった。 経済成長のためには我が国との協調が欠かせないと考えていた政治家だった。
しかし、結果的に胡耀邦は失脚し、趙紫陽が後を継いだ。 が、趙紫陽も天安門事件で改革派側( 学生側 )に立ったため失脚。 最悪・最低の指導者である江沢民が跡を襲う。 今の中国の悲劇的( 喜劇的? )状況はここに始まった。
それ以来、今日に至るまで、中共政府は『 我が国首相の靖国参拝を非難する 』ようになった。
この田辺誠という政治家は、1990年に当時の自民党のドン・金丸信とコンビを組んで北朝鮮を訪問し、謝罪と賠償及び国交回復を約束する。
ときの国家公安委員長・梶山静六氏が、『 昭和53年以来の一連の行方不明事犯、恐らくは北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚でございます 』と、国会ではっきりと答弁している( 行方不明者は北朝鮮による拉致、と政府も認めていた )にもかかわらず。

この田辺誠という人間、まったくもって理解できない思考と行動であり、超一級の売国奴である
数千人の市民が掃討戦に巻き込まれて死に、数万人の便衣兵( 一般市民に化けた国際法違反のゲリラ )が摘発され、処刑されたにすぎない事件国際法違反のゲリラは捕虜ではない。 したがって、それを処刑することは、虐殺でもなんでもない 】を、『 大虐殺 』と言って、わざわざ『 記念館 』まで建てさせる。 さらには、その資金まで提供する。 これが当時の野党第一党の指導者の真実の姿である。

社会党は1990年代初頭まで、国会において自民党に次ぐ第2勢力だった。 このような『 反日行動が東アジアの平和に繋がる 』と信じている政党を最大野党にしていた責任は、日本国民にもある。

売国政治家 』の代表選手のような田辺氏は、現在、民主党群馬県連常任顧問を務めている。 そして『 北朝鮮による日本人拉致疑惑は、権力によるデッチあげ 』と主張していた元・社会党議員の多くも民主党に在籍している。
このような政党が政権を担当する事態が生じたら日本は滅ぶ。

2002年から2004年まで民主党代表を務めた菅直人氏は、幹事長時代に『 南京大屠殺遇難同胞紀念館 』を訪問し、『 今度、南京大虐殺の歴史をもっと知るために「 南京大虐殺遭難者同胞記念館 」をわざわざ訪れたのであり、南京での見聞をより多くの日本国民に伝え、歴史を正しく認識し、それを鑑にして、絶対に歴史の悲劇を二度と繰り返さない 』と述べている。
そして菅氏は最後に『 歴史を鑑に、未来に向ける 』と記帳している。

こんな政治家が、結党以来、幹事長や代表を歴任している政党。 党員の中に『 在日 』を抱える政党。 これが民主党の真の姿である。
人権侵害救済に関する法律( 部落解放同盟 )、永住外国人地方参政権付与法( 韓国・朝鮮人 )、男女共同参画社会基本法( ジェンダーフリー )、戦時性的強制被害者問題解決促進法( 従軍慰安婦 )。 これらが民主党が力を入れている政策である。

民主党を支える一大勢力である『 連合 』には、『 南京大屠殺遇難同胞紀念館 』の建設費用を負担した『 旧・総評 』が大きな影響力を持っている。 中でも日教組は、その中核である。
日教組には、多くの『 元極左活動家 』が潜り込んでいる。 これらの教師は、事前に我が国の残虐な近代史を生徒に教え、修学旅行と称して『 南京大屠殺遇難同胞紀念館 』や『 万人坑 』を訪問させる。
そして用意された証人のインチキ物語を生徒に聞かせ、帰国後に『 謝罪史観 』の感想文を書かせる。

中国だけではない。 これらの教師は、韓国でも修学旅行の際に、元従軍慰安婦と称する女性たちが共同生活する『 ナヌムの家 』や韓国の独立運動家が捕らえられ拷問されたとされる『 西大門刑務所歴史館 』に生徒たちを連れて行く。 中には『 韓国平和学習旅行団 』と名づけて、年中行事の一つにしている学校もある。
こうして『 反日・日本人 』が育成され、中国や韓国、果ては北朝鮮にも謝罪するのが当たり前という世論が醸成される。
一方で、朝日新聞に代表される偏向メディアが、その風潮をさらに煽る。
そして、この世論を受けて民主党や社民党、そして自民党の一部が、我が国を亡国の道へ導こうとたくらむ。

 国民新聞によると、南京に建設されている「 侵華日軍南京大虐殺遭難同胞記念館 」の隣に日本人の手によって「 贖罪慰霊碑 」と「 中日平和友好会館 」建設の準備が群馬県の横山誠氏を中心に、顧問に中曽根元首相、土井たか子、田辺誠ら27人の国会議員の名を連ねているとの事。
 中国人の作り話に懺悔・謝罪するこの天下の愚行を断じて許してはなりません。 日本人が南京に、ありもせぬ虐殺の贖罪の碑まで建てるなど、ここで戦った何万の将兵や英霊に対する最大の冒涜であるばかりか、世界の物笑いの種。 未来永劫にわたるこの国辱的愚行を阻止しなければなりません。
「 南京大虐殺 」を強引に証明しようとするあまり、虚偽の“証言”や“証拠”をニュース記事として流す過ちを、「 朝日 」の記者は犯し続けている。
いわゆる「 南京大虐殺30万 」などは全くの虚構で、中国の作り話にすぎない。
だが、この冤罪は日本民族永久の恥辱であり、ぬぐいがたい歴史的汚点である。
当時朝日新聞が報道した数々の写真や記事は、南京占領当時のありのままの姿を映した第一級史料である。
しかるに、戦後「 朝日 」は一転して「 南京大虐殺 」をはやしたて、ついに小・中・高校の教科書にまで掲載されるに至った。
真実は1つしかない。 「 朝日 」よ、売国的改ざんはやめよ。
 ( http://www.history.gr.jp/~nanking/peace.html

「 朝日新聞 」の犯罪
 ・ニセ生首写真で“南京大虐殺”ねつ造
 ・「 南京大虐殺 」と朝日新聞の責任
 ( http://www.history.gr.jp/~nanking/asahi.html

南京大虐殺は全くの虚構である。
  プロパガンダである。
    日本の情報戦の完敗である。
何故なら、
重要報道源はすべて中国軍の宣伝機関であったこと、最初の米紙2誌の報道は意図的な反日報道であったこと、朝日の報道はジャーナリズムの風上に置けない無責任・反日報道であったこと、アイリス・チャンは全てが捏造であることなどが証明されている。
また東中野教授の指摘しているように若し本当にあれば必ずあるはずの非難声明が全く無かったし、逆に平和であったことを証明する報告書が存在するからである。
またこの頃の日本軍は敗戦間際と異なり厳しく訓練された正規軍であり軍律に忠実であったはずである。
言われる様な残虐行為は日本の文化に無いやり方であり全て中国のやり方である
つまり敵を非難・陥れるのも自分の文化でしか考えられないわけである


《 靖国問題の外圧の勃発 》
1.靖国外交問題化の導火線 朝日新聞・加藤千洋記者の火つけ記事
昭和60年8月7日に朝日新聞 加藤千洋記者が「 日本的愛国心を問題視 」を初めとする靖国参拝批判記事を執拗に書く。 日本のマスメディアによる初めての靖国批判。
2.社会党・田辺誠書記長ら訪中して靖国批判キャンペーン
昭和60年8月26日 田辺誠書記長が率いる社会党の訪中団が靖国公式参拝反対を中国でキャンペーン。 中国側に「 こんな暴挙を許しておくのか 」と煽る。
3.中国初めての靖国批判
昭和60年8月27日 中国 桃依林( ヨウイリン )副首相 中曽根首相の靖国参拝批判。
これ以前歴代首相が戦後58回参拝を繰り返している
A級戦犯合祀後も 20数回 参拝しているが中国は靖国批判していない
よって、靖国神社参拝が外交問題化した原因は、朝日新聞加藤千洋記者の記事と社会党田辺誠書記長らの訪中しての靖国批判キャンペーンにある。
これをきっかけに、靖国批判は長期に渡って外交カード・情報戦として使われ、国益を害してきた。
国賊・売国奴と言っても生ぬるい売国サヨクメディアと売国政治家である。




金丸訪朝団、前代未聞の国辱的約束
1990年9月24日、自民党の金丸信と社会党の田辺誠( 当時副委員長 )をそれぞれの団長とする両党の北朝鮮訪問団(自民13人、社会9人)は、日航チャーター機で平壌へ飛んだ。
この後、自民党と社会党、そして朝鮮労働党の三党は、共同宣言に調印したが、この共同宣言の第1項で、金丸訪朝団は、とんでもない約束を北朝鮮とすることになる。
『 三党は、過去に日本が36年間朝鮮人民に与えた大きな不幸と災難、戦後45年間朝鮮人民がうけた損失について、朝鮮民主主義人民共和国に対し、公式的に謝罪を行い十分に償うべきであると認める 』と。
政府代表でもない国会議員が賠償支払いの約束をする、しかも謝罪と賠償の対象に『 戦後45年間 』を含める。
金丸・田辺の売国コンビは、文字どおり常軌を逸したキチガイじみた約束を北朝鮮と行ったのである。
もちろん、このときにも、あの野中広務が付き添っていた。
ちなみに金丸信は、当時、竹下派( 経世会 )会長で自民党の最高実力者だったが、公的には一介の衆院議員にすぎず、そんな男が国の代表面( ヅラ )をして国交のない国を訪問する。
経世会の支配というものが、いかに不合理なものであったかの証明である。

しかも、この訪朝団は、『 日本人拉致疑惑 』に何一つ言及しなかった。
1988年3月の時点で、参議院予算委員会で共産党の橋本敦議員が3件の『 アベック失踪事件 』について質問している。
この質問に対して梶山静六国家公安委員長( 当時 )は、『 昭和53年以来の一連の行方不明事犯、恐らくは北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚でございます 』と、はっきりと答弁しているのだ。
戦後の北朝鮮による対南武力解放政策=日米韓敵視政策までも、我が日本国の責任であるとし、拉致疑惑には口をつぐむ。
もう言うべき言葉がない!

[ 文書名 ]日朝関係に関する日本の自由民主党、日本社会党、朝鮮労働党の共同宣言
[ 場所 ]平壌
[ 年月日 ]1990年9月28日
[ 出典 ]情報公開法に基づき外務省から開示された文書
[ 備考 ] ―
[ 全文 ]  自由民主党代表団と日本社会党代表団が1990年9月24日から9月28日まで朝鮮民主主義人民共和国を訪問した。
 朝鮮労働党中央委員会総書記金日成主席は自由民主党代表団と日本社会党代表団と会見した。
 会見席上で、金丸信団長と田辺誠団長は朝鮮労働党の中央委員会総書記金日成主席に自由民主党の海部俊樹総裁の親書、日本社会党土井たか子中央執行委員長の親書を手渡した。
 訪問期間中、衆議院議員金丸信を団長とする自由民主党代表団、中央執行副委員長田辺誠を団長とする日本社会党代表団、党中央委員会書記金勇淳を団長とする朝鮮労働党代表団間の数次にわたる三党共同会談が行われた。
 三党代表団は、自主・平和・親善の理念にもとづき日朝両国間の関係を正常化し発展させることが両国国民の利益に合致し、新しいアジアと世界の平和と繁栄に寄与すると認めつぎのように宣言する。
1.三党は、過去に日本が36年間朝鮮人民に与えた大きな不幸と災難、戦後45年間朝鮮人民が受けた損失について、朝鮮民主主義人民共和国に対し、公式的に謝罪を行い十分に償うべきであると認める。 自由民主党海部俊樹総裁は、金日成主席に伝えたその親書で、かつて朝鮮に対して日本が与えた不幸な過去が存在したことにふれ、「 そのような不幸な過去につきましては、竹下元総理が、昨年3月国会におきまして深い反省と遺憾の意を表明しておりますが、私も内閣総理大臣として、それと全く同じ考えである 」ということを明らかにして、日朝両国間の関係を改善する希望を表明した。
 自由民主党代表団団長である金丸信衆議院議員も朝鮮人民に対する日本の過去の植民地支配に対して深く反省する謝罪の意を表明した。 三党は、日本政府が国交関係を樹立すると同時に、かつて朝鮮民主主義人民共和国の人民に被らせた損害に対して十分に償うべきであると認める。
2.三党は、日朝両国間に存在している不正常な状態を解消し、できるだけ早い時期に国交関係を樹立すべきであると認める。
3.三党は、日朝両国間の関係を改善するために政治・経済・文化などの各分野で交流を発展させ、当面は、通信衛星の利用と、両国間の直行航路を開設することが必要であると認める。
4.三党は、在日朝鮮人が差別されず、その人権と民族的諸権利と法的地位が尊重されるべきであつて、日本政府は、これを法的にも保証すべきであると認める。
 三党は、また、日本当局が朝鮮民主主義人民共和国と関連して、日本のパスポートに記載した事項を取り除くことが必要であるとみなす。
5.三党は、朝鮮は一つであり、北と南が対話を通じて平和的に統一を達成することが朝鮮人民の民族的利益に合致すると認める。
6.三党は、平和で自由なアジアを建設するために共同で努力し、地球上のすべての地域で将来核の脅威がなくなることが必要であると認める。
7.三党は、朝日両国間の国交樹立の実現と懸案の諸問題を解決するための政府間の交渉が本年11月中に開始されるよう強く働きかけることについて合意した。
8.三党は、両国人民の念願とアジアと世界の利益に即して、自由民主党と朝鮮労働党、日本社会党と朝鮮労働党間の関係を強化し、相互協調をさらに発展させることを合意した。
1990年9月28日
平壌にて
自由民主党を代表して
金丸信
日本社会党を代表して
田辺誠
朝鮮労働党を代表して
金勇淳

1990年( 平成2年 )
 9月24日、金丸信・田辺誠( 社会党副委員長 )らの代表団、北朝鮮を訪問。
 9月26日、金丸ら・田辺誠、金日成主席と会談。
 9月27日、自民党、社会党、朝鮮労働党による共同声明の発表。

自民、社会両党訪朝代表団名簿

自由民主党代表団
団長:金丸信( 元副総理・衆議院議員 )
副団長:山村新治郎( 元運輸相・衆議院議員 )
小此木彦三郎( 元建設相・衆議院議員 )
代表団事務総長:石井一( 党外交調査会長代理衆議院議員 )
団員:谷洋一( 日朝友好促進議員連盟副会長・衆議院議員 )
池田行彦( 自由民主党副幹事長・衆議院議員 )
鹿野道彦( 自由民主党副幹事長・衆議院議員 )
小里貞利( 自由民主党総務局長・衆議院議員 )
野中広務( 自由民主党通信部会長・衆議院議員 )
武村正義( 自由民主党アジア・アフリカ問題研究会朝鮮問題小委員会事務局長・衆議院議員 )
斉藤斗志( 自由民主党国際局次長・衆議院議員 )
伊江朝雄( 参議院議員 )
森山真弓( 前官房長官・参議院議員 )

日本社会党代表団
団長:田辺誠( 副委員長・衆議院議員 )
副団長:久保亘( 党中央執行委員会副委員長・参議院議員 )
事務局長:山花貞夫( 党中央執行委員会副書記長・衆議院議員 )
代表団事務局次長:深田肇( 中央執行委員・国民運動局長・参議院議員 )
団員:田並胤明( 党中央執行委員・広報局長・衆議院議員 )
高木将勝( 党中央執行委員・機関紙局長 )
藤田高敏( 党朝鮮問題対策委員会副委員長の衆議院議員 )
野坂浩賢( 党中央執行委員・衆議院議員 )
粕谷照美( 党中央執行委員・参議院議員 )
大渕絹子( 党朝鮮間道対策委員会事務局次長・参議院議員 )

 この他に代表団随員、政府実務者と『 朝日新聞 』、『 毎日新聞 』、『 読売新聞 』、『 共同通信 』、『 時事通信 』、『 NHK 』、『 日本テレビ 』、『 テレビ朝日 』をはじめとする日本の主要報道機関の記者。

朝鮮側代表団
金容淳( 朝鮮労働党中央委員会書記・最高人民会議外交委員会副委員長で代議員 )
崔守吉( 最高人民会議代議員・朝鮮労働党中央委員会部長 )
鄭浚基( 最高人民会議代議員・外交委員会副委員長・朝鮮対外文化達格協会委員長 )
崔文善( 労働党平壌市委員会責任書記 )
李夢虎( 最高人民会議事務局長 )
安東潤( 労働党中央委員会副部長 )
金養建( 労働党中央委員会副部長 )
千延玉( 朝鮮対外文化連絡協会副委員長 )
金要雄( 最高人民会議代議員・朝鮮民用航空会社社長 )
南順嬉( 最高人民会議代議員・平壌教員大学学長 )

その他関係者。


悪名高い「 金丸訪朝団 」の暴走外交事件です。
この田舎芝居みたいな外交使節団は、金丸信という浪花節好きの老人の妄念から生まれたようなものです。
選挙区が同じで国会内の「 根回し 」仲間でもあった社会党右派の田辺誠が、金日成の使い走り役になって猿回しを演じた国際的な喜劇で、勿論、主役は誰が言ったか「 自民党のドン 」の金丸でした。
日本からカネを引き出すためには日本の与党の実力者と巻き込まなければならない。 金丸とともに訪朝した田辺誠は「 月刊社会党 」に「 朝鮮労働党幹部と相談し、自民党代表にふさわしい人物として金丸氏を団長に決定した 」と書いているが、金日成が金丸氏を平壌に連れてくるよう田辺に指示したことは、この記述が裏づけている。

この唐突な訪朝は、混乱していた日本の国政から浮かび上がった面があります。 史上空前の大勢力になった田中角栄の派閥は「 軍団 」と呼ばれるほどの鉄の団結を誇っていたのですが、ロッキード騒動の中で竹中登が親分の復活を待たずに独立して独自の派閥を作った事から内紛が起こります。 金丸は竹下を総理にすると腹を決めていたので大嫌いだった中曽根の助けを借りてでも、後継総裁の指名を得て竹下登内閣を誕生させたのが87年の11月6日です。 発足して半年でリクルート事件が表面化して消費税を導入しただけで竹下内閣は瓦解します。 芸者さんの一言で政権を失った宇野宗佑内閣を挟んで、「 帽子は軽い方が良い 」と小沢一郎に言われた海部俊樹内閣が発足するのが89年の8月でした。
首相になった政治家は必ず「 歴史に残る業績 」を考えるもので、外交面で何の仕事もしなかったように見える竹下首相も、実は北方領土の解決を自分の業績にしようとしていたのです。 しかし、その交渉相手のソ連は瓦解して行く時期でしたから、領土を失うような交渉は不可能だったので、竹下は「 それなら北朝鮮との国交を 」と恐ろしい事を思い付いたのだそうです。 竹下政権復活を画策していた金丸がその悲願を受け継ぐわけですが、浪花節大好きな金丸は、83年12月16日に発生した「 第18富士山丸 」事件の被害者・紅粉船長の奥さんからの陳情を受けていました。 このトンデモない濡れ衣冤罪事件を解決する能力は日本政府には有りません。
朝鮮労働党と「 友党関係 」を持っていた社会党は貧乏な政党でしたから、これをパイプに使って自民党と交渉して資金を手に入れようとした金日成から社会党の田辺誠に、「 第18富士山丸 」事件の解決という餌を付けた訪朝話が持ち込まれたのです。 金丸引き込み計画には、後に大騒ぎになった「 戦後45年分 」の賠償が含まれていたようです。 飛んで火に入る夏の虫とはこの事で、選挙違反・政党間談合・闇資金を政治の常道と信じ切っているような金丸を団長とする田舎芝居の一座は、自民党13名、社会党10名、両党関係者と政府関係者と報道陣36名、合計90名という税金の無駄遣いの標本のような大所帯でした。
外交交渉・共同宣言調印という「 生まれて初めて 」の体験に、76歳の金丸爺さんはすっかり感動して正気を失ってしまいます。 金丸は前月8月29日に北京を訪問していて、江沢民総書記と李鵬首相に熱烈歓迎された記憶が生々しく残っていたのも不味かったと思われます。 山梨県人会の片割れ、田辺誠は金日成の忠実な下僕となって、交渉の現場から外務省の役人も日本側通訳も追い出して、お得意の「 密談 」の舞台を用意するのでした。 何処かの料亭と間違えていたようですが、それが政治だと思い込んでいた世代の政治家だったのでしょう。 自民党の誰かさんから高級料亭に招かれて、ただ酒を奢って貰うのが政治折衝だったのですから……。この田辺誠は貴重な交渉の機会なのに、拉致問題には一切触れなかったばかりか、金日成に核開発に関する疑惑をぶつける事も避けてしまったのでした。
突然の訪朝話に驚いた米国政府から事前に情報がもたらされていたと言うのに、金丸が「 本当に核兵器を製造しているか教えて欲しい 」と口火を切ったのに、田辺誠は「 飛鳥田委員長の時代に、労働党と北東アジア非核地帯の取り決めをしている。 核は無いと確信している 」と何処の国の代表なのか分からない暴言を吐いているのです。 忠実な下僕の間抜けな発言に救われた金日成は「 意志も能力も無い 」と短い大嘘をついて話題は銭に移って行ったのでした。
  9月30日、韓国とソ連が国交正常化。
  10月9日、土井たか子委員長と自民党の小沢一郎幹事長が訪朝。
  10月11日、第18富士山丸の紅粉船長ら2人が帰国。
「 日本政府は50億ドルと言うはずだから、そちらは100億ドルと言えば良い、そうしたら私が80億ドルに落ち着かせる 」と金日成が泣いて喜ぶような大見得を切ったドンの金丸は、可愛い子分の小沢にも北朝鮮の熱烈歓迎を味わわせてやろうと思ったのでしょうし、田辺誠も土井たか子に花を持たせようとしたのでしょう。 この二人が何をしに行ったのかというと、表向きは「 労働党結成45周年 」式典への出席なのでした。 パチンコ文化人の土井は兎も角、小沢が労働党創立記念式典に出席していたのは汚点でしょう。 この訪朝の本当の目的は別に有りました。 小沢・土井コンビは第18富士山丸という謀略冤罪事件の解決に対して「 寛大な措置をとられた朝鮮労働党と朝鮮民主主義人民共和国政府に深い感謝の意を表わします 」との文書を残して来る事だったのです。 こんな証文を取られてしまった小沢一郎が政権を取ったら、北朝鮮との外交交渉など出来るのでしょうか?


■故金丸氏が総連捜査に圧力
  平成2年、元幹部の外登法違反 警視庁による本部捜索行われず

 平成2年5月に警視庁公安部が摘発した在日本朝鮮人総連合会( 朝鮮総連 )の元幹部らによる外国人登録法違反事件の捜査過程で、日朝関係への影響を懸念した自民党の金丸信元副総裁( 故人 )が捜査を朝鮮総連中央本部( 東京都千代田区 )などに拡大しないよう、捜査当局に圧力をかけていたことが15日、複数の関係者の証言で明らかになった。 警視庁による朝鮮総連中央本部や朝鮮大学校( 東京都小平市 )への家宅捜索は行われず、捜査当局内部からも捜査が不十分だと疑問の声が上がっていた。 金丸氏は同年9月に社会党の田辺誠副委員長( 当時 )らと訪朝し、金日成主席と会談、「 謝罪 」と「 戦後の償い 」を表明した。
 事件は、朝鮮総連新宿支部の元委員長と、その妻で東京朝鮮中高級学校事務員の2人が昭和56年3月、新宿区内の都営住宅から葛飾区金町の住宅・都市整備公団住宅に転居した際、外登法で定められた居住地変更申請を行わなかったというもの。 事務員の妹も同様の容疑で逮捕、元委員長の自宅や新宿支部、東京朝鮮中高級学校など8カ所を家宅捜索した。
 警視庁公安部が元委員長らの容疑裏付けのため、朝鮮総連本部や朝鮮大学校などへの強制捜査を検討していた平成2年5月ごろ、金丸氏から警察庁幹部に連絡が入り、捜査の拡大に懸念を表明。 「 日朝関係に悪影響が出る 」などと指摘し、事件の幕引きを図るよう示唆したという。
 警視庁公安部は、元委員長の事件のほか、過去に摘発した朝鮮総連メンバーによる外登法違反事件で、北朝鮮工作員が日本国内で活動するために偽の外国人登録証を取得していたことを把握。 北朝鮮から朝鮮総連に対しさまざまな対日工作活動の指示が出されていた可能性もあるとみて、背後関係の解明のため朝鮮総連中央本部や朝鮮大学の家宅捜索も視野に入れていた。
 金丸氏は事件当時、自民党最高実力者の一人で5月10日に田辺氏と会談し日朝国交正常化交渉の環境整備のため訪朝実現を目指すことで一致。 同年9月に訪朝し、翌年1月には日朝国交正常化交渉の本会談が始まった。
 金丸氏の当時の秘書は産経新聞の取材に対し、「 金丸氏が警察に圧力をかけた事実はないと思う 」と回答。 朝鮮総連中央本部は「 産経新聞の取材は一切受け付けていない 」としている。

■政治介入の“影”今も
 故金丸信元副総裁が、朝鮮総連への強制捜査に関して警察庁などに圧力をかけていた事実が、10年以上経過して明るみに出たことで、朝鮮総連をめぐる疑惑の度にささやかれていた政治介入の一端が浮かび上がった。 この圧力を受けたという苦い経験が「 トラウマになった 」( 捜査関係者 )として、捜査当局の朝鮮総連をめぐる疑惑の解明に影を落としているとの指摘も根強い。
 金丸氏の元秘書は「 訪朝の随分前だし、憶測ではないか 」と述べているが、金丸氏が警察庁幹部に電話をかけた時期は、当時の社会党幹部が訪朝し、朝鮮労働党側が「 金丸訪朝団を受け入れる用意がある 」と回答、これを受け、社会党の田辺誠副委員長が金丸氏と会談した時期と重なる。
 金丸氏が死去した今となっては、どういう意図だったのか知るすべはない。 だが当時の捜査幹部は金丸氏の要請後、視野に入れていた朝鮮総連本部と朝鮮大学の家宅捜索が“自然消滅”したと述懐する。 国交正常化への「 環境整備 」のつもりが朝鮮総連を事実上「 聖域化 」し、先ごろの朝銀東京信用組合を舞台にした業務上横領事件などを引き起こし、同信組などの破綻、巨額の公的資金注入につながり国民にツケが回ったとするならば、その行為の代償はあまりに大きい。
 朝銀の事件で、警視庁幹部は「 北朝鮮への送金問題など、背後関係の捜査はやらねばならないが、どこまでできるか見通しは立たない 」とするが、徹底した真相解明が求められているのは自明の理だ。 ( 北朝鮮問題取材班 )
産経 2001.12.16

 東京国税局は、金丸信の妻が死亡した際に受け取った遺産に着目、当時の日本債券信用銀行( 日債銀 )のワリシン(割引金融債)の一部が申告されていない(日債銀内では、金丸のことを”蟷螂紳士”との符号で呼び、申告漏れに協力していた)事実を突き止めた。 1993年3月6日、東京地検は金丸本人と秘書を任意に呼び出して聴取を行い、同日脱税の容疑で逮捕。
 後に、金丸信の自宅へ家宅捜索を行ったところ、床下から20億円以上に及ぶ無記名債権と、無刻印の金塊が発見された。 金塊というものは、通常は純度とともに製造地が刻印されているものだが、この巨額の金塊には、何の刻印も見当たらなかった。 無刻印のものは北朝鮮産であり、何らかの形で提供されたものと思われるが、なんと詳細は未だもって不明のままなのである。 毎年100億の援助として、10年で1,000億、この2%でも20億である。 北朝鮮からだとしたら、キックバックとしても安いものである。 この間の政治家に対する捜査当局の無能さぶりにも呆れるばかりだが、これが日本の現実である。
金さえ貰えば、なりふり構わずに敵国に祖国を売り渡す男、そんな人間が国政にかかわっているというのは、なんとも嘆かわしい次第である。