金丸信


金丸信とはどういう人物だったのか?

金丸は、大正3年(1914年)9月17日、山梨県中巨摩郡今諏訪村(現南アルプス市)で造り酒屋を営む父・金丸康三と母・とくの長男として生まれた。
旧制身延中学校(現山梨県立身延高等学校)、東京農業大学農学部卒業。
大政翼賛会の青年組織である翼賛青年団に加わって山梨県の団長・名取忠彦の知遇を得、戦後、彼の下で脈々会に加わった。
東京農大時代は、柔道の猛者(もさ)として鳴らしたという。

田中角栄もだが、金丸も毀誉褒貶の激しい政治家である。国士として尊敬する者もいれば、単なる金権政治家として軽蔑する者もいる。
融通無碍な寝業師だったと思っている。情にもろく義理に厚い。無定見で妥協を得意とする。‥‥‥が、金丸の主義主張を聞いたことがない。
金丸は自分のことをよく解っていた。だから、党内最大派閥を率いていながら、ポスト竹下に推されたとき、これを固辞、自ら宮沢喜一を後継に推した。

こんな金丸が、なぜ絶大な影響力を誇ることができたのか
それは、まずカネである。角栄式の「 利益誘導と、その見返りとしてのカネ 」これを徹底した。あるとき、記者会見で、自身の政治資金について質問されたとき、「ワシの名前はカネにマルと書くんだよ」と、冗談とも本音ともつかない言い回しで、資金が潤沢であることを示唆していた。
次に人脈社会党の田辺誠委員長(当時)とは盟友関係にあった。また、革マル派副議長(だった?)の松崎明JR東労組会長とも懇意。ニュースステーションが好きで、久米宏のファンだったとも聞いている。
裏社会とも繋がりがあって、広域暴力団稲川会の石井進会長(当時)とは兄弟分だったと言われる。ちなみに、金丸の一の子分を自認していた浜田幸一は元稲川会。
数の力も大きい。豊富なカネと人脈を誇る金丸の下には、陣笠議員が続々と参集。
「経世会」(竹下派)の構成議員は100名を越えた。

金丸は、1985年、勉強会と称して「創政会」を結成する。これは、共通の孫を持つ竹下登を派閥の後継領袖とするためのクーデターであった。
これを知った田中角栄は激怒。猛烈な切り崩し工作を行なう。
このとき田中と面会した金丸は、「今までは、おやじさんのために命がけで闘ってきた。これからは、おやじさんと命がけで闘う」と、宣戦布告とも取れる文句を口にしたという。
この死闘は、結局、田中が脳梗塞で倒れたことで、金丸-竹下の勝利に終わる。1987年7月、「創政会」は「経世会」(竹下派)として正式に独立した。
1987年11月、竹下が第74代内閣総理大臣に就任、金丸は「経世会」会長に就任し、党内最大派閥を率いて自民党のドンと呼ばれるようになる。

金丸の政治的夢は、自民党と社会党を解体・再編成して政権交代可能なニ大政党を作るということだった。社会党の田辺との関係は、そういう意味合いも含んでいた。
‥‥‥が、金丸は思わぬところで挫折する。平成3年(1992年)東京佐川急便から5億円のヤミ献金を受け取っていたことがが発覚。党副総裁辞任に追い込まれる。それでも世論の反発は収まらず、10月には衆議院議員を辞職、「経世会」会長も辞任した。

田中もそうだったが、政治家は権力を失うと、途端にその闇の部分を追求される破目に陥る。
東京国税局は、東京佐川急便事件を捜査していた東京地検とは別に、金丸が妻(元・赤坂のクラブホステス)が死亡した際に受け取った遺産に着目、内偵を進めていた。
そして、日本債券信用銀行(日債銀・当時)の割引金融債(ワリシン)の一部が申告されていない事実を突き止め、東京地検に告発した(「自民党の打ち出の小槌」と呼ばれていた日債銀内では、金丸のことを“蟷螂-カマキリ紳士”と符号で呼び、銀行ぐるみで不正に協力していた)。
平成4年(1993年)3月6日、東京地検は金丸本人と秘書を脱税の容疑で逮捕。自宅を家宅捜索したところ、「金の延棒」等の数十億円の不正蓄財が発覚する。
金丸は、来るべき政界再編に備えた軍資金であると述べた。

金丸信、この男を語らずして、なぜ今の政治を理解することができないのか?

それは、金丸の失脚後、小沢が自民党を離党して新生党を立ち上げ、細川連立政権を樹立したのは、金丸の政治的夢であった、自民党と社会党を解体・再編成して政権交代可能なニ大政党を作るということに通じるからである。
金丸と小沢のニ大政党論に共通しているのは、結集すべき理念が何なのか明確ではないということだ。だから、新進党に平気で公明党を参加させた。
また、小沢と袂を分かって自民党に残った橋本や野中も、金丸の別の部分、つまり、「利益誘導と、その見返りとしてのカネ」「無定見で妥協を得意とする」ところを見事に引き継いでいる。
そして、この「金丸」的な政治と真っ向から闘い、勝利を収めたのが小泉純一郎だった。
要は、「失われた10年」を取り戻す闘いは、「金丸政治」との闘いでもあったと言ってもよい。

最後に、金丸が、その政治家としての評価を地に貶めた事件について。これは、ある意味、東京佐川急便からの「5億円ヤミ献金事件」や「巨額の脱税及び不正蓄財」よりも罪が大きい

1990年、金丸は、盟友である社会党の田辺らと訪朝団を編成。団長として北朝鮮を訪問する。このとき自民党の代表として、国交正常化や日本統治時代の補償とともに、「南北朝鮮分断後の45年間についての補償」という約束を自民党、社会党、朝鮮労働党の3党で交した これは、南北分断後の「日本の北朝鮮敵視政策(笑)」を我が国が反省し、それによって北朝鮮が被った損害を補償するというものである。 既に、北朝鮮による日本人拉致疑惑は、我が国政府も認めるところだった(1988年3月26日、参議院予算委員会、梶山静六国家公安委員長答弁)にもかかわらず、こんな正気の沙汰とは思えない約束をする。
この約束は帰国後、当然のことながら猛烈な批判を浴びる。そして自民党の承認を得られず反故(ほご)にされた。
このころから、金丸の自民党内における神通力が衰え始めた。

なお、この訪朝団には、野中も同行している。野中は1999年にも訪朝し、金日成を生前の姿のまま安置した錦繍山記念宮殿を訪問、以下のように記帳している。
「 ご生前中に三度にわたりご会見の栄を得ましたことに感謝し、金日成主席閣下の不滅の遺徳が、朝鮮民主主義人民共和国の永遠の発展と日本国との友好発展の上に、大いなるお導きを願い、永久不変万年長寿をお祈りします 」

つまり、金丸の「金権」「売国」的体質は野中がしっかりと引継ぎ、無定見な「政界再編の夢」は小沢が引き継いだ。そして、小泉は、そのような「金丸的な体質」に果敢に闘いを挑んだ
すべてではないが、大雑把に言えば、そんなところではないか。

金丸がもっとも可愛がったのが小沢だった。その金丸が議員を辞職するに際し、小沢は「ぜひ、次の派閥の長は小沢にと、記者会見で指名してくれ」と詰め寄ったとされる。が、金丸から「辞めていく人間が、後のことなど指名することはできない」と拒絶された。だから小沢は派閥を割り、党を割ったという説もある( ただ、これは野中の話だから割引く必要がある )

金丸信と北朝鮮利権

(産経新聞) 2004年10月21日朝刊

 ゼネコン大手の大成建設など10社が、インフラ(社会基盤)視察などのため訪朝を計画していたことが20日、分かった。訪朝団の一部は19日に出国したが、北朝鮮に対する国内世論の硬化などを理由に急遽、計画を中止。残りの一部は平壌入りしたとの情報もある。核開発や拉致問題の安否不明者十人の調査でゼロ回答を続ける北朝鮮に対して日本政府が「圧力」に軸足を移しつつあるだけに、「あまりに軽率」(政府関係者)との批判が出ている。
 (略)
 訪朝計画は昨年浮上し、小泉純一郎首相が今年5月に再訪朝したのを受け、今回、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)が招待した。
 ゼネコン各社がこの時期に極秘の訪朝計画を立てたのは、核、ミサイル、拉致問題などの包括的解決後、国交正常化を想定し、日本から北朝鮮への経済協力を見越した動きとの見方もある。北朝鮮にとっても、国交正常化後のインフラ整備事業を日本企業に発注する可能性を示唆することで、「圧力」を強めつつある日本側に揺さぶりをかける思惑があるようだ。

 またもや、自国の国益を考えずに、朝鮮人の犯罪組織である朝鮮総連の揺さぶりにホイホイと乗っかるバカゼネコンの姿です。

 北朝鮮絡みの利権としては、古くは建設族、郵政族のボスとして君臨してきた金丸信の1990年の土下座外交により、社会党一辺倒だった対日窓口を自民党に切り替えた時からでしょうか。
 バブル経済真っ盛りで、ゼネコンと切っても切れない関係だった金丸が名誉欲で動くはずは無く、金銭欲で北朝鮮との国交正常化を急ぎ、結果としては、当時、北朝鮮の代弁者であった社会党に騙されて、三党共同宣言で「戦後四十五年の償い」というバカな一節を盛り込みました。

 だいたい、帝国主義時代の植民地支配に対して、国際的に謝罪や賠償の例すらありません。それを、金丸は「戦後の45年間」についても謝罪と賠償を約束してきたのです。
アホウとしか言い様がありません。

 建設族である金丸信とその秘書であった次男の信吾は、北朝鮮の「川砂利」とスケソウダラの輸入というすぐに銭なる利権に目を付けています。
1991年5月にマダム朴が飛ばした民間初の名古屋空港よりの日朝直行便で金丸信吾が、大阪砕石工業所幹部、新日本産業の吉田猛(あの加藤紘一事務所の名刺を持っていた事で有名になった「北朝鮮のエージェント」といわれている男)など川砂利利権に関わった連中と一緒に訪朝しています。
 脱税事件の家宅捜索により、金の延べ棒が金丸の事務所よりでてきましたが、この金の延べ棒には刻印が無かったといわれています。刻印のない金の延べ棒を作っている国は北朝鮮しかないそうです。

 小泉首相は、まず、国交正常化ありきという姿勢にしか思えません。国交正常化となると、我が国は犯罪国家の北朝鮮にでも経済援助をする事になるでしょうそうなると、金丸から始まった川砂利利権などと比べ物にならない、今まで以上の膨大な利権が発生する事でしょう。その中心になるのが、森派であり、その最大の事業は、電力不足の北朝鮮に対して、豆満江流域に発電所やダムを建設し、総合開発する事でしょう。
 腐れゼネコン連中が目の色を変えて、北朝鮮の出先機関である朝鮮総連の口車に乗り、ホイホイと出かけようとした意味がここにあるのでしょう。


金丸信・自民党副総裁、脱税事件

-経緯-

平成5年3月6日、東京地検は、自民党元副総裁の金丸信と秘書の生原正久を、所得税法違反(脱税)の容疑で逮捕した。金丸は、前年の「佐川急便事件」で、巨額の金を受け取っていながら申告していなかったことで略式起訴されていた。しかし世論は、略式起訴で片付けてしまった検察に強い不満をもっていた。

そのような状況の中、金丸が、日本債券信用銀行の割引金融債「ワリシン」を大量に購入しているとの情報を得た。
そこで、東京地検が、金丸の事務所・自宅を家宅捜索した。この結果、金丸の金庫から何とワリシンなど70億円の有価証券類がでてきた。このワリシンは3000万円以下であれば無記名で購入が可能で、脱税する側は都合が良かった。更に、金丸は名義を分散して複数の銀行口座を使うなど悪質であった。

-ゼネコンとの癒着-

政界のドン金丸は、ゼネコンからの資金がベースになっていた。正規の政治献金以外に、巨額の盆暮れの付け届けや闇献金でワリシンを購入して、所得申告をせず金庫に貯め込んでいた。

捜査は、このゼネコンも対象となった。東京地検・特捜部は、金丸の献金元であるゼネコン20社の家宅捜索を実施。そこで押収した各社の帳簿から賄賂授受の実体が明らかにされる。

6月末、宮城県・仙台市の石井亨市長が、市の公共工事の発注に伴う賄賂1億円をハザマ、西松建設、三井建設、清水建設の4社から受け取っていた。更に茨城県、埼玉県などの市長、知事なとが逮捕される。
ゼネコンも上記4社以外に大成建設や鹿島などの会長・社長等も逮捕され、24人が贈賄容疑で逮捕、起訴された。

金丸の追徴税額は、43億円を超えると見られていたが、平成8年3月26日、山梨県の自宅で脳梗塞によって死去した為、公訴棄却となった。
43億円を超える追徴金はどうなったのか?

1992年に、こんなことがありました。
14年も前のことでしたが、「法律というルールは偉い人は守る必要がないんだなぁ」という感想をもった気がします。

自民党の金丸信・副総裁(当時)が、東京佐川急便からの九億円の政治献金を受け取りました。(本人も認めている)
政治資金規正法違反であることは、明らかなのですが、検察から事情聴取もされず、逮捕もされず、裁判も開かれませんでした。

その後、同じことをした金子新潟県知事の場合は、事情聴収、政治資金規正法違反による在宅起訴(公判請求)ときちんと法律に則って処罰されました。

なんで、金丸信・副総裁だと裁判にもならないのか、合理的な説明は結局なされないままでした
そんなわけで、権力があったりお金があったりする人ってのは、ルールを守る必要がないみたいですよ

韓光熙『 わが朝鮮総連の罪と罰 』で総連の内情を暴露

 韓光煕氏はかつて朝鮮総連の財政局副局長であり、これら謎とされる活動の中心人物だった。朝鮮総連の活動は未だに謎の部分が多い。朝銀信用組合を巡る数々の不正事件や北朝鮮への巨額送金、日本人の拉致問題、工作船活動と問題は山積。

 韓光煕著『 わが朝鮮総連の罪と罰 』(文藝春秋社刊)では、

帰国事業、工作船の実態、朝鮮総連の錬金術、北朝鮮への不正な巨額送金
総連の実質トップの許宗萬(ホ・ジョンマン)副議長と日本の政治家に対する工作
故金丸信、野中広務や山崎拓、加藤紘一らとの親密な交流ぶり

など、朝鮮総連の謎の部分を明らかにしている。

「正論」平成16年8月号より
 日朝首脳会談、あるいは6か国協議における北朝鮮の外交術といいますか、交渉術といいますか、なかなかのものですね。言い換えれば、北朝鮮外交はタフ・ネゴシエーションという綱渡り的手法を弄してかろうじて維持されているようにも思えます。

 北の外交を見ていてあらためて思い出すのは、高英煥(コ・ヨンファン)氏の著書『亡命高官の見た金正日』(池田菊敏訳、徳間書店、1995年)にあった一節です。同氏の脱北体験記『平壌25時』(1992年。訳、版元ともに前掲書と同じ)もスリリングな内容でした。元北朝鮮エリート外交官の高氏については初めて名前を知る人もいると思いますので、略歴を簡単に紹介しておきましょう。

 高英煥氏は1953年、北朝鮮の慈江道江界市西山で生まれました。名門である平壌外国語大学フランス語科を卒業し、外交部(外務省)に入りました。本省ではアフリカ担当課長をつとめました。フランス語に堪能で金日成、金正日父子の通訳もつとめたエリート外交官でした。1991年、コンゴ駐在一等書記官のとき、韓国に亡命しました。現在はソウルに住み、研究所に勤務。ときどき、評論をメディアに発表しています。

 高英煥氏は、『亡命高官の見た金正日』のなかで北朝鮮の対日戦略について一章をもうけています。この章は、「北朝鮮の外交が対日外交政策において致命的な失敗を犯したことがある」という書き出しで始まります。致命的な失敗というのは、一体、何だったのでしょうか。以下、すこし同書をなぞってみたいと思います。

 同書によれば、1950年代から1960年代にかけて金日成は日本共産党との協力関係に重点をおいていたそうです。しかし、金日成が主体思想を唱え始めてから関係がおかしくなりました。その代わりに北は日本社会党にシフトしたのです。北には、「キジの代わりにニワトリ」ということわざがあるそうです。キジ(共産党)がいなくともニワトリ(社会党)があるさ、ということでしょう。

 1970年代、1980年代というのは朝鮮労働党と日本社会党の蜜月時代でした。しかし、そのうちに万年野党の社会党に対して北の官僚の間にも失望感が漂い始めたのでした。

 1990年9月24日、二つの訪朝団が呉越同舟で平壌に飛びました。金丸信元副総理を団長とする自民党訪朝団と田辺誠副委員長を団長とする社会党訪朝団でした。二党それぞれ対等といっても実質的には金丸訪朝団といってよいでしょう。高英煥氏は、社会党への失望が金丸信の平壌訪問を成功させる出発点となったと指摘しています。

 自民党と社会党、それに朝鮮労働党の三党は共同宣言を調印しました。この第一項、「三党は、過去に日本が36年間朝鮮人民に与えた大きな不幸と災難、戦後45年間朝鮮人民がうけた損失について、朝鮮民主主義人民共和国に対し、公式的に謝罪を行い十分に償うべきであると認める」という文言があとで大きな問題となりました。政府代表でもない国会議員が賠償支払いの約束をするとは言語道断、といった批判もありました。

 とはいえ、金丸訪朝団には成果もありました。北に拘束されていた第18富士山丸の紅粉勇船長と栗浦好雄機関長の釈放に道筋をつけたことです。当時の政治状況からいってとても話せる雰囲気ではなかったのでしょうが、金丸訪朝団は拉致のラの字も口にしていません。

 当時の金丸氏、田辺氏らが北朝鮮による日本人拉致事件を知らなかったはずはありません。1988年3月26日、参議院予算委員会で共産党の橋本敦議員は三件のアベック失踪事件について質問しました。そのとき、梶山静六国家公安委員長は、「昭和53年以来の一連の行方不明事犯、恐らくは北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚でございます」とはっきりと答弁しているのです。

 平壌における金丸団長の行動には、信じがたいほど軽率なところがありました。自民、社会両党の代表団は平壌から列車で三時間近くかかる妙香山の金日成の別荘(あちらふうにいえば招待所)に招かれて一泊しました。列車は深夜に到着したので金日成との会見は翌日になりました。そして午後3時の列車でふたたび平壌へ戻るのですが、別荘を出る直前、金丸氏だけが「もう一晩残ってほしい」と呼びとめられたのです

 結局、金丸氏と秘書二人、警護二人が残りました。日本人通訳はすでに出発したあとだったのでしょう。田辺氏は全くかやの外でこの事実を平壌へ向かう列車のなかで初めて金丸側近の自民党代議士から知らされたのです。これまで友党として親密な関係を誇示してきた田辺氏としては煮えくり返る思いだったでしょう。知らぬが仏といいましょうか、田辺氏はすでに金日成がキジ(社会党)をニワトリ(自民党)に代えたことに気づかなかったのです。それにしても日本側の通訳なしで金日成とサシの会談に臨むというのは大胆すぎます。いかにもアバウトな金丸氏らしい大雑把さですが、これは大失態といわざるを得ません

 まんまと術中にはまった金丸氏が帰国したあと、金日成は朝鮮労働党国際部と外交部に対して次のような“教示”を与えたそうです。

 「 われわれがこれまで日本社会党との関係だけに集中させていたのは間違いだった。金丸に会ってみれば、何も社会党だけでなく自由民主党との関係を発展させるべきだ。虎穴に入らずんば虎児を得ずで、日本反動の巣窟である自民党のなかに入り込まなくてはならない。自民党との関係をうまく調整すればわれわれの革命にプラスになりうるのだ 」(『亡命高官の見た金正日』164頁)

 高英煥氏は、結局、自民党が労働党の第一のパートナーになった、と述べています。この“教示”のあと、北朝鮮は自民党にどうアプローチしていくのか、とても関心があります。

「正論」平成17年10月号より
対北売国外交の扉は開いた 自民・社会党代表団訪朝

金日成主席(中央)との会談に臨んだ金丸信・自民党副総裁(左)、
田辺誠・社会党副副委員長=平成2年9月26日
 平成2年9月24日から28日にかけ、自民党の金丸信副総裁(故人)を団長とする自民・旧社会両党の代表団が訪朝した。

 この際、両党が朝鮮労働党と調印した「三党共同宣言」には、

日本が、(統治時代の)過去36年間朝鮮人民に与えた不幸と災難、戦後45年間朝鮮人民が受けた損失について北朝鮮に謝罪し、賠償する
(1)できるだけ早く国交関係を樹立
(2)朝鮮は一つであり、北と南の平和的統一の達成が朝鮮人民の民族的利益に一致する
-ことが盛り込まれた。

 これに対して、「統治時代」のみならず「戦後」についてまで日本が謝罪と賠償を行うとしたことに「意味不明」「土下座外交」などと批判が噴出。「朝鮮は一つ」という表現も北朝鮮の統一政策をそのまま受け容れたものとして当時の韓国政府からも釈明を求められた。

 これ以降、北朝鮮は日本側の窓口をそれまでの旧社会党から自民党に乗り換えた。その自民党は、北朝鮮による日本人拉致事件に有効な対策をとらないまま北朝鮮に米などを支援し続けた。

 のちに脱税事件の家宅捜索で金丸副総裁の事務所から見つかった五億円の金の延べ棒は金日成からの贈り物だという見方は根強いが、米支援に携わった自民党政治家たちの行動の背景はいまだに解明されていない。

( 平成18年7月1日 )

 北朝鮮は他国からの客をもてなすのに「山」を使うのがお好きなようだ。平成2年、金丸信氏ら自民、社会両党の代表団が訪朝したときがそうだ。一行は平壌から150キロ離れた景勝地の妙香山へ案内される。その招待所に金日成主席が待っていたのだ。

 主席は一通り会談が終わり記者団らが引き揚げた後、金丸氏だけを妙香山に残し、サシの会談に持ち込む。結局「戦後45年の償い」など北朝鮮側の主張を一方的に通した共同宣言がまとまった。政府間ではなかったにせよ、日本にとっては外交史上の汚点となった。

山梨県の民度は何故低い?
故金丸氏の顕彰碑 旧竹下派幹部らが除幕式

故金丸信・元自民党副総裁の顕彰碑が山梨県南アルプス市で立てられたそうです。

故金丸氏の顕彰碑 旧竹下派幹部らが除幕式

 故金丸信・元自民党副総裁の顕彰碑除幕式が2日、山梨県南アルプス市で地元関係者ら約400人が出席して開かれ、自民党の青木幹雄参院議員会長や野中広務元幹事長、国民新党の綿貫民輔代表、鈴木宗男衆院議員ら旧竹下派、それに続く旧小渕派幹部も参加した。
 碑文を揮毫(きごう)した綿貫氏は「中央政界は骨細の政治家ばかりになった。金丸先生のような骨太の政治家と政治が望まれる。碑から『しっかりしろ』との声が聞こえてくるようだ」とあいさつ。
 顕彰碑は高さ約7メートルで、金丸氏を「政界の頭領の異名を奉られた」とし、中央自動車道建設などに尽力し、山梨県に「金丸王国を築いた」と刻まれている。

 金丸氏といえば、利益誘導の土建政治家の典型例です。20年も前ならともかく、今時こんな政治屋の顕彰碑を立てるなんぞ、如何に山梨県民の民度が低いかということを世間に宣伝するようなもんです。これを立てた人たちは羞恥心という言葉を忘れてしまっているのでしょう。
 日本が滅んでも目先の自分たちの利権が欲しい浅ましい県民だ、そのどこが悪いと居直っているようなものです。まあ、良識ある山梨県民諸氏は憤慨しているでしょうが。

 この男は国家の百年の計なんぞ知ったことかとばかりに地元に道路や箱物、果てはリニアモーターカーの試験設備まで腕力で持ってきた。国庫がいくら赤字になろうとしったこっちゃない

 それだけならばまだいいが、この男は社会党と一緒になって北朝鮮詣でして甘い汁をすってきた。無論拉致被害者なんて歯牙にもかけなかった。ハッキリ言えば売国奴、国賊です

 更に言えば、防衛庁長官時代には護衛艦に「しらね」というテメエの選挙区の名前をあてたりもしています。国軍の軍艦すらどぶ板選挙のタネにするなんぞ犯罪的ですらあります。
政治家として破廉恥この上ない人間としてクズですそれを喜んだ連中も同じです

 山梨県民は利権政治家金丸信の悪行記念館でも建設して、二度と再びこのような愚劣な政治屋を出さないための戒めするべきでしょう。

怒!



お・ま・け
山梨県人は昔から穴の掘るのが好きなお国柄。穴を掘っては金などを掘り起こす。古来から日本各地より、金目当てで山梨に集まり住み着いた輩がほとんど、そしてその血を受け継ぐ子孫達。
金丸信という山梨出身の政治屋がいただろ、あれもそうだよ。名前までがゼニになっている。山梨はゼニの亡者の子孫が住んでいる土地なんだよ。ゼニのためなら人殺しなどいとも思わない奴等の集まる所さゼニの亡者であるオウムの麻原も、そんな土地柄に引かれて住み着いたのだろう。

日本三大悪人間の土地

越後(新潟県)編

越後(新潟県)ご存知上杉謙信が有名でモットーは長いもの(権力のある者)には巻かれろの風土。
時代劇で必ず悪徳商人の代表として登場する「越後屋」も新潟県人の店。江戸時代の佐渡では日本各地が罪びとを集めて金鉱で酷使さてて、ゴミのように殺して捨てていった土地。
日本の国家予算を新潟県のためだけに食い尽くす政治屋、田中角栄とその娘田中真紀子が出たのも新潟県。
悪行で名高い国北朝鮮と交流を持ち続け、北朝鮮の軍隊への物資援助のための船の基地となっているのも新潟県。
少女拉致監禁事件に見られるように、少女の拉致誘拐身売りの多い土地柄で住民もそういう事件に慣れきっている。

甲斐(山梨県)編

甲斐(山梨県)はご存知武田信玄が有名でモットーは、人が城の代わりであり犠牲になる物である。つまり昔から人の命を犠牲にさせて自らの財産や地位を守るという土地柄であるということ。
金の採掘目当てで古来より日本各地からゼニの亡者が集まり、住み着いてゼニの亡者達の血を引く子孫達。金掘り職人の子孫が多いためゼニのために人を殺すのに、何のためらいもなくに殺しては掘った穴に埋める風習がある。
日本の国家予算を山梨県のためだけに食い尽くす政治屋、金丸信が出たのも山梨県で名前の通りゼニの亡者達の子孫である。山梨県の昔の国名の甲斐というのは下位、界、戎などの語源から変化したもので、この世の国ではなくまともな国ではないという意味。
最近ではオウム真理教に見られるように、ゼニの亡者で異常な集団がこの土地柄に惹かれて住み付くことが多い。
また自殺の名所である樹海も山梨県にあり、やはり死に急ぐ者がこの風土や土地柄に惹かれて集まってくる。
山梨県では古来から至る所で殺されて埋められた者が無数に存在し、死の世界への入り口となる県である。したがって穴を掘るのが専門の土建業者が人を殺して埋めるのも、この土地の伝統であり住民もそういうのには慣れきっている。

上州(群馬県)編

上州は上杉家の保護国として有名でモットーは、強い者には逆らわず弱い者からはとことんむしり取れ。
江戸時代にならず者の集団であるやくざの発祥の地であり、そのやくざが現在では暴力団として全国に広がった。
日本の国家予算を群馬県や栃木県・埼玉県のためだけに食い尽くす政治屋、小渕父娘と中曽根が出たのも上州である。
上州は昔金のなどの鉱山の採掘が有名で、日本各地からゼニの亡者が集まり住み着いた土地でその子孫が多い土地である。しかし鉱山の衰退でゼニの亡者達は新しいゼニを生み出す方法が必要になり、弱い者からむしり取ることを思いついた。
徳川埋蔵金の噂で有名になったのも上州の赤城山周辺であり、その埋蔵金を秘密にするために多くの者が殺されて埋められているのもここの土地柄。
最近では死刑囚大久保みたいに少女をレイプしては殺して埋めたり、コンクリート詰めや保険金目当ての殺人が多いのもここの土地柄。
この地域では昔からやくざ(暴力団)による犯罪が日常化しており、凶悪な事件が頻発しているが住民や警察はそんな事件には慣れきっている。



( 2014.08.10 )

  


 約2万人のマスゲームで 「 人文字 」 をつくり、列車の座席にはあらかじめ酒とつまみを用意しておく。 突然のスケジュール変更で最高指導者に会えるという 「 特別感 」 を演出する ──。

 今から24年前の平成2年9月。 自民党と社会党の国会議員団、外務、通産などの各省庁の担当者、新聞やテレビの報道陣ら約90人が、日本航空の特別チャーター機で北朝鮮を訪問し、盛大な “歓待” を受けた。 自民党訪朝団の団長だった金丸信元副総理の名前を取って、後に 「 金丸訪朝団 」 と呼ばれることになる一行は、謎のベールに包まれた北朝鮮の実態を目の当たりにした。

 先日、本紙オピニオン面の企画 「 ニッポンの分岐点 」 の取材で、金丸訪朝団参加者から当時の体験談や目撃談を聞くことができた。 8月2日付で記事化されているが、盛り込めなかった部分を紹介する。

 そもそも、なぜ与野党の国会議員がこぞって北朝鮮を訪問したのか。 それは、当時と現在とでは時代背景や国際情勢が全く異なっているからだ。

 平成2年当時の日本国内では、北朝鮮による日本人拉致事件の認知度は極めて低く、政府も国会も世論も全くといっていいほど関心を示していなかった。 政府が初めて具体的に拉致事件に言及したのは昭和63( 1988 )年。 梶山静六国家公安委員長が参院予算委員会で 「 おそらく北朝鮮による拉致の疑いが濃厚 」 と答弁したが、大きなニュースにはなっていない。

 むしろ、北朝鮮との国交正常化を歓迎する空気が国内にはあった。 時は東西冷戦の末期、国際情勢が激変する中、ソ連との関係が悪化し、中国とも疎遠となった北朝鮮は、東アジアでの孤立を恐れ、日本に接近しつつあった。 日本と早く国交を結び、 「 戦後賠償 」 という名の経済援助を得ようというのが北朝鮮の目的で、日本の政治家たちも、その機運、流れに乗った節がある。

 そもそも、金丸訪朝団の最大の目的は、北朝鮮に拘束されていた漁船 「 第18富士山丸 」 の日本人船長らの解放だった。 この交渉は最終的に金丸氏ら訪朝団が道筋をつけ、船長らは翌10月に無事に解放されることになる。

 だが、実はそれ以上の大きな動きが訪朝団の滞在中に起こる。 金丸氏と社会党訪朝団の団長だった田辺誠副委員長の2人が、金日成主席と会談し、日朝の国交正常化を前提とした政府間の交渉開始で電撃的に合意したのだ。 友好親善を目的とした議員外交が、いきなり政府間の国交正常化交渉にまで発展するという前代未聞の出来事だった。

 繰り返しになるが、北朝鮮は 「 戦後賠償 」 という名の 「 経済援助 」 を日本から引き出そうとしていた。 北朝鮮の狙いは最初から明確だった。 自分たちの 「 土俵 」 で訪朝団を歓待して好印象を持ってもらい、国交正常化に向けた地ならしをする。 何よりも、自民党最大の実力者である金丸氏を徹底的に籠絡ろうらくする ── というものだった。

 案の定、北朝鮮の術中に金丸氏ははまってしまう。 訪朝団が平壌に着いた翌日の夕方( 平成2年9月25日 )、金日成スタジアムには約2万人が集まり、壮大なマスゲームを披露する。 「 金丸信先生と田辺誠先生の引率する日本使節団を熱烈に歓迎する! 」 という人文字の迫力はすさまじく、一行の心は、徐々に北朝鮮に寄っていってしまう。 マスゲームの人文字はすぐにできるものではない。 北朝鮮は、事前に入念な練習を重ねていた。

 産経新聞政治部記者として、金丸訪朝団に同行取材した自民党の北村経夫参院議員の証言によると、金丸氏はマスゲームにいたく感動し、涙を流し続けたという。

 北朝鮮滞在2日目の夜。 マスゲームの興奮が冷めやらぬまま、宿泊先に戻った一行は突然、平壌から遠く離れた北朝鮮有数の観光地・妙香山へ連れていかれる。

 「 偉い人に会えるかもしれません 」

 北朝鮮側は国会議員らにこうささやいた。 この局面で 「 偉い人 」 といえばただ1人、最高指導者で最高権力者の金日成主席である。

 ともあれ、移動は突然で、一部の議員以外はよく事情のわからないまま、役人も報道陣もまとめて列車に押し込められ、妙香山へ向かった。 だが、土壇場でのスケジュール変更は何か特別なことが起こるではないかという期待感を持たせるには効果的だった。 しかも、列車内の座席には酒やつまみが載せられていて、いつのまにかあちこちで酒盛りが始まったという。

 当時、運輸省の国際航空課長として訪朝団に同行した笹川平和財団の羽生次郎会長は 「 今思うと、訪朝団全体が( 誘拐や監禁された被害者が、犯人に好意を持ったり、同情したりする )ストックホルム症候群のような状況だった 」 と振り返る。

 平壌から遠く離れた、通信手段がほとんどない環境に連れていかれ、事実上の “監禁” 状態にあった一行は疲れ果てて眠りにつく。 冷静に考えてみると、この時点ですでに一行は北朝鮮の術中にはまっている感がある。 そして翌朝、一行はついに金主席と面会することになる。

 首に大きな丸いこぶがあり、声は田中角栄元首相を彷彿ほうふつとさせるダミ声だった。 78歳ながらも血色はよく、180センチほどある大きな身体。 東アジアの独裁国家の最高権力者の迫力は満点だった。

 国会議員ら一行は昼食会( 午餐会 )に招かれた。 金主席は、朝鮮料理が並ぶ円卓を回っていく。 羽生氏はその時の様子をよく覚えていた。

 「 金日成の声は 『 ゲラゲラ、ゲラゲラ 』 ってというダミ声でね。 われわれのテーブルまできて、1人1人高麗人参酒を注いでいった。 私がちょっとだけ口をつけると、金日成は真横でニコニコしてるんだけど、随行役が怖い顔をして、 『 ぐっと飲め 』 という動作をするんだ。 酒はまずいんだけどね( 笑 ) 」

 昼食会が終わると、ほどなくして一行は平壌に向かった。

 だが、金丸氏の姿が見当たらない。 北朝鮮側が 「 金主席がゆっくりお話をしたいと言ってます。 1人で残ってくれませんか 」 と金丸に打診していたのだ。 金丸氏はその申し出に自分の判断で応じ、妙香山にもう1泊した。

 これが、後に日本外交史上、大きな問題となる 「 金・金会談 」 である。 日本側の通訳も、外務省の担当者もいない中、金丸氏と金主席は密室で計5時間近くも会談した。 記録が全く残っていないため、会談の詳細な中身はいまだに明らかになっていないが、金丸氏が金主席にほれ込んだのは明らかだった。 訪朝団の滞在最終日の9月28日にに発表された自民党、社会党、朝鮮労働党の3党による共同宣言には、日本の 「 償い 」 という言葉が盛り込まれた。 後世に大きな禍根を残したこの言葉には、金丸氏の意向が反映されていた。 訪朝団の事務総長だった石井一前参院議員は 「 金日成なりのジェスチャーだった。 要は、社会党は信用していない、あんた( 金丸氏 )を信用しているんだと。 金丸氏はそれでファンになってしまった 」 と回顧する。 北朝鮮は、政治家の心をくすぐるのがうまかったといえる。

 今回の取材では、金丸訪朝団の滞在中に 「 喜び組 」 が登場したという証言はなかった。 ただ、金丸訪朝団前に平壌入りした自民、社会両党による先遣議員団のメンバーの一部は、ひそかにゴルフやカラオケを楽しんだという。

 日朝関係は、拉致被害者の安否再調査をめぐり、厳しい交渉が続いている。 北朝鮮は核兵器を開発して国際社会を敵に回し、弾道ミサイルを頻繁に撃ち、東アジアの安全保障を常に脅かしている。 こんな国とかつて国交正常化が近づいたという事実にただ驚くばかりの取材だった。